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オフィス街から脱却!丸の内を世界で最もインタラクションが活発な街へ 三菱地所株式会社
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この三菱地所 丸の内開発の記事は2013年7月15日に掲載されたものです。

再構築で丸の内の風景が一変 古いオフィス街が多様な人々の集まる街に

皆さんは物理の授業で「慣性の法則」について習ったのを覚えているでしょうか。物体は外部から力を加えられない限り、静止または等速運動をそのまま続ける、というものです。実は街づくりについても同じことが言え、何か新しい状況が生まれたり、あるいは困ったことが発生したりしないと新しい街づくりはなかなか動いていきません。現在のにぎわいからは想像が難しいかもしれませんが、丸の内も1990年代の後半には紙面に「黄昏の街、丸の内」と書かれ、揶揄されたような時期もありました。では、丸の内にはどのような力が外部から加わり、再構築が始まり、現在のように発展していったのか。順を追って皆さんにご紹介していきましょう。

1998年に三菱地所が「丸の内再構築」を表明し、2002年に丸ビルが竣工して以降、大手町、丸の内、有楽町の丸の内エリアでは多くの新しいビルが建設され、日本を代表するビジネスセンターとしての整備が行われました。現在、この120ヘクタールのエリアには約23万人の就業者と約4200社の企業が集まっています。その中で東証一部上場企業は75社で、売上高を合計すると120~130兆円になります。並行して丸の内仲通りのブランドショップをはじめとする商業施設や三菱一号館美術館などの文化施設が次々にオープンし、いまや丸の内エリアはビジネスパーソンだけではなく、多様な人々でにぎわう街へと進化を遂げました。

丸ビルが完成する前の丸の内は、街を歩いているのはダークスーツの男性ばかりで、ビルの中もほとんどがオフィス。土・日曜日は人通りが非常に少なく閑散とし、「目立たずデートするなら丸の内」と言われていました。ただ、それは決して悪いことだったわけではありません。日本の高度成長を支えた重厚長大 産業を中心とする旺盛なオフィスニーズに応えた結果、そうした街が形成されたのですから。丸の内の風景は時代を反映していた、といってもよいでしょう。

しかし、1990年代の半ばぐらいから我々が強い危機感を持たざるを得ない変化が起こるようになりました。テナント企業が丸の内から別の場所へ本社を移転する動きが発生するようになったのです。空室率は一桁前半で数字だけを見れば大きな変化ではありませんでしたが、丸の内全体のオフィスビルは満室状 態が続き、入居を希望いただいてもお断りせざるを得ない状態が続いていた三菱地所にとっては大きなショックでした。何より問題だったのは、丸の内を出ていくテナントに元気のある成長企業が多かったことです。どんな企業や人々が集積するかが街の生命線ですから、我々にとって状況は非常に深刻でした。

丸ビル竣工前、丸の内では長らくクレーンが立っていない、すなわち新しいビルの建設がありませんでした。竣工後50年、60年とたった古いビルであっても、昔と同じ仕事をずっと繰り返している企業であれば移転する必要はないのかもしれません。しかし、成長している企業はどんどん新しいものを求めます。電源容量が足りない、照明が足りない、サーバーを持ち込める環境が欲しい……。丸の内のオフィスビルは、いつしか時代のニーズに応えられなくなっていたため、成長している企業は他地区の新しいビルに転出していったのです。

ただ、ピンチは決して悪いことばかりではありません。そもそも古くなったビルを建て替えるには、入居しているテナントに別のビルへ移っていただく必要があります。それには移転先となる空室が必要ですが、丸の内には空室がなかった。故に建て替えが難しいという事情もあったのですが、そう考えると空室の発生はチャンスだったとも言えます。再開発を行って新しいオフィスビルをつくることで、時代のニーズに応えることができるようになりました。空室の発生は我々が一度は通らなければいけないピンチであり、チャンスであったと思います。

丸の内のライバルはニューヨーク、パリ、ロンドン。国際間競争を勝ち抜ける!

人々が活発に交流し、 新しい価値が生まれる街の要素とは?

当時のマクロ経済状況を振り返ると、戦後の高度成長が終わった後、バブル景気の発生と崩壊が起こるという社会経済情勢の大きな変化の中、日本経済は 構造改革を迫られていました。日本の国土開発に関する方針は「均衡ある国土の発展」、要するに東京の一極集中はいけないという方針がずっとうたわれてました。ところが、経済のグローバル化が進展し、どれだけ魅力的な街をつくり海外から人や企業を呼び込めるかという都市の国際間競争がクローズアップされるようになって、大都市のリノベーションが必須であるという方針に転換されました。そして小泉内閣時代、都市再生特別措置法という都市機能の高度化などを図るための法律が制定されました。

このような変化が起こり、新しい力が外部から加えられた状況の中で、丸の内をどういう街に再構築していくべきか。社内で議論を進めていった結果、最終的に「オープン」「ネットワーク」「インタラクティブ」という三つのキーワードに基づいてサスティナブル・デベロップメント、すなわち継続的に開発して いくことを決断しました。この三つのキーワードをかみ砕くと、外部に開かれていて、いろいろな意味でつながっていて、フェイス・トゥ・フェイスの会話が行 われているということです。ブランドコンセプトは「世界で最もインタラクションが活発な街」。つまり、人々の交流を通じて新しい価値創出が行われる街づくりをハード、ソフト両面で具現化しようと構想したのです。

もちろん社内ではいろいろな意見が出ました。「今まで通り着々とオフィスを作っていればいい」「商業施設を作る必要はない」等々。しかし、楽しい街 には「連続」「多様性」「集積」という三つの要素が必須です。連続とは物理的に建物が連なっているというだけではなく、歴史的に過去、現在、未来とつながっていることを指します。多様性とは人々や用途など、いろいろな要素が詰まっていること。そして一定以上の集積は集積を呼び、そこに行けば誰かに会え、 何か発見があり、新しい価値を生み出します。ニューヨーク、パリ、ロンドンなど世界の魅力的な街を眺めてみると、見事にこれら三つの要素が揃っていることに気付かれるでしょう。着々とオフィスをつくっているだけでは、そうした魅力をつくり出し、人々のインタラクションを活発にすることはできません。

事業継続、資金調達…… 困難な課題は新しい手法を生み出すチャンス!

丸の内再構築にあたっては、解決しなければならない課題がいくつもありました。例えば、テナントの事業継続。企業本社が集積している丸の内や大手町にオフィスを構え事業を継続することがビジネス上、極めて重要な意味を持つ企業はたくさんあります。それらの企業は他のエリアに移転するわけにはいかず、 この地区内で事業が継続できるようにしなければなりません。また、三菱地所にとっては大型開発に必要な資金の調達も大きな問題ですし、エリア全体の共同事業であるため利害関係者との調整も難しいところです。

そこで、事業継続の課題を解決する方法の一つとして、公有地を活用した連鎖型再開発という手法を採りました。これは金融業や情報通信業が集積している大手町で実施したもので、まず国有地の空き地に新しいビルを建て、そこに古いビルで事業を行っていた企業がまとめて移り、空いた古いビルを新しく建て直し、そこへまた別の古いビルで事業を行っていた企業に移ってもらうということを繰り返していく方法です。これなら企業はエリア外へ移転する必要がなく、大手町で事業を継続していくことができます。

また、三菱地所は多くのビルを建て替えたので、丸の内再構築を表明した1998年以降の10年間、いわゆる第一ステージと呼ばれる期間において約5000億円を投じています。それは将来の収益に対する適正な投資ではありますが、一企業が負担するにはかなり大きな金額でした。長期的な視点に立った資金計画や既存の事業との綿密な調整による実施計画により、事業性を維持しながら街の機能を更新することができたと考えています。

店舗数、休日の歩行者がともに3倍に!丸ビルだけで年間2000万人を集客!

共同事業における関係者の調整は非常に難しいものですが、これをクリアできたのは1988年に丸の内の地権者が集まって大手町・丸の内・有楽町地区 再開発計画推進協議会を設立し、丸の内再構築を表明する10年前から具体的な街づくりについて議論してきたことが寄与しています。さらに民間企業だけではなく、そこに東京都や千代田区等が加わった懇談会をつくり、まちづくりの方向性を示した「まちづくりガイドライン」を2000年に策定しました。つまり、 みんなで丸の内の将来像を描き、開発はそれを念頭においてきちんとやっていきましょうという約束ができていたわけです。大手町・丸の内・有楽町地区には約100棟のビルと約4200社の企業が集積しているので、それぞれいろいろな事情はありますが、ガイドラインの大きな枠組みのなかで良い街づくりをしていこうという精神が共有されていたので、何か問題があっても最後は解決に向かって収束していくのです。

ここに挙げた課題はどれも一朝一夕には解決できない困難なものでしたが、課題があるが故に新しい手法や解決策を生み出すことができました。つまり、 ピンチは新しいものを生み出すチャンスであり、ピンチにしか考えるヒントはない。だからビジネスパーソンは困らなければいけないし、困ったことに直面したら喜ぶべきです。困ったことがないと新しい何かを生み出すチャンスもないのですから。

店舗数と休日歩行者数は10年前の3倍、商業ゾーンの売上は700億円

丸ビルの開業から10年余りが経った今、果たしてどんな変化が起きたのか。まず、入居テナントの業種が大きく変化しました。以前は製造業の比率が圧倒的に多かったのに対し、現在は金融業やコンサルティングファーム、法律事務所などのいわゆる知識集約型産業の比率が増えました。ただし製造業が減ったの ではなく、新たに増えたオフィスに知識集約型産業がどんどん入居した形です。ニューヨークのミッドタウンは知識集約型産業が多い業種構成で知られていますが、それに近くなったというイメージですね。

物販や飲食店などの商業集積が進んだことも大きな変化です。商業ゾーンの売上は約700億円ですから、ちょっとしたデパートが複数あるような街になってきたと言えるでしょう。丸ビルだけでも年間2000万人もの来館者を集め、そうしたビルが何棟もできています。何より圧倒的に寄せられるのは「歩いて楽しい街になった」という声です。主に丸の内仲通りに並ぶ多くのショップを指しての声ですが、そう言っていただけるのはデベロッパーとして非常に嬉しいです。丸ビルのオープン以前と比べ、店舗数と休日の歩行者数はそれぞれ約3倍になりました。10年ちょっとでこれだけの変化が起きた街は、世界でもあまり 例がないのではないでしょうか。

街を歩いている人々もビジネスマンだけではなく、ベビーカーに小さなお子さんを乗せたお母さんなど、多様な人の姿が見られるようになりました。ちなみに丸の内エリアには3か所の保育所があります。美術館、劇場などの文化施設も増え、重要文化財もあります。ホテルや会議施設などの交流施設も増えましたし、慶應義塾大学とタイアップした社会人教育機関、慶應丸の内シティキャンパスでは年間1万9000人のビジネスパーソンが学んでいます。

何より我々が自慢としているのは丸の内ではエリアマネジメント、平たく言うと町内活動がきちんと実施されていることです。活動内容は都市環境や就業環境などの環境改善を考えたり、イベントを開催して地域の活性化に取り組んだり、街を案内する丸の内ウォークガイドを実施したり。また、大手町から有楽町まで歩くと20~30分かかるので、エリア内の充実した施設をネットワークするシャトルバスを3台運行しています。ちょっと歩くのはつらい状況のときに就業者、来訪者の方が楽に移動できるよう、利便性を提供しています。

こうしたエリアマネジメント活動は長期的視野に立たないとできません。費用も労力もかかりますし、すぐに目に見える効果が出るわけでもないからです。しかし、前述した面白い街の三要素である「連続」「多様性」「集積」を実現し、本当に素晴らしい街をつくろうとするならエリアマネジメントは不可欠な 要素です。地道に5年、10年と継続することによってやっとさまざまな効果が出てくるエリアマネジメントに取り組んでいるところに、丸の内の良さが体現されています。

夢はさらに大きく!丸の内をグローバル企業の「意思決定が行われる街」に!

大プロジェクトを実現できたのは「丸の内を、想う力」の強さ 世界で重要な意志決定が行われる街を目指す

丸の内再構築に関して、なぜこれだけ巨大なプロジェクトを実現できたのかと質問されることがあります。その答えは、三菱地所グループのブランドス ローガン「人を、想う力。街を、想う力。」になぞらえて言うと、「丸の内を、想う力。」の強さだと思います。丸の内と三菱との関わりは、1890年に丸の内の兵営跡地など約10万坪を陸軍省から購入したときにさかのぼります。当時はまだ三菱地所という会社はなく三菱合資会社でしたが、以来、丸の内を良くしたい、丸の内に来る人や企業によいものを提供したいというDNAが脈々と受け継がれてきました。それがなければ、丸の内再構築は前に進みませんし、最後までやり抜くこともできません。もちろん以前から丸の内が圧倒的な底力と魅力を持ったエリアであったという素材の良さや、短期的ではなく長期的、点ではなく面的な視野で進めているということも、丸の内再構築が順調な進捗をみせている理由です。

とはいえ、まだ課題はたくさんあります。たとえば、丸の内のブランドコンセプトに掲げた「インタラクション」です。丸の内エリアには約4200社が集積していると先に申し上げましたが、まだより多くの企業にそのメリットを感じていただける余地があると思います。この街で仕事をしている企業、もしくは この街へ仕事に来る企業をマッチングすることで新たな価値がつくりだされるような、触媒的な役割を三菱地所は果たしていきたいと考えています。良い出会いをたくさんつくり「丸の内へ行くとビジネスチャンスが生まれる」と思ってもらえるようにしなければなりません。

それは国内向けに限った話ではなく、海外からもどんどん多くの人に来ていただき、丸の内を歩いている人の半分は外国人というくらいの街にしていきたいと考えています。なぜ今、シンガポールや上海にあれだけ人が集まるのか。そこに人々が集まり、ビジネスチャンスが生まれるからであり、丸の内もそういう 状況にしていきたい。ただし、そうした他の街とまったく同じにするのではなく、日本の良さであるおもてなしの心やきめ細やかさを街のハード・ソフトの両面 で実現していくことにより東京、丸の内ならではの魅力を出していくことが重要でしょう。

都市の国際間競争という観点では、もっと英語が通用する街にしていかなければなりませんし、情報発信の強化も必要です。防災に強い街づくりも重要で、BCP(事業継続計画)にハード・ソフト両面にわたって街全体として取り組み、被災をしても影響を最小限にとどめ、いち早く通常業務に復帰できるよう 整備しています。また、海外から人を呼び込んでもさまざまな手続きに手間と時間を取られてはビジネスになりませんから、東京都とタイアップして教育や医 療、行政手続きなどに関する相談がワンストップでできるコンシェルジュサービスを東京都から受託し、昨年から新丸ビル内でスタートしました。また、丸の内という限られたエリアだけでなく、日本橋や神田、八重洲といった周辺エリアと役割分担し、一体になっていろいろな機能を提供していけるようにすることも重要だと考えています。

丸の内再構築は、丸ビルの建替計画を表明してから2007年までの10年間が第一ステージで、現在は2008年から始まる第二ステージとして次の段階に進んでいます。そのキーワードは「拡がり」と「深まり」で、東京駅前の開発を中心とした第一ステージから、大手町、丸の内、有楽町全域に物理的に拡げ ていくことや、オフィスに留まらないさまざまな機能をより深め、導入していくことを意図しています。そうやって人々のインタラクションを活発にし、丸の内をイノベーションが起き続ける街、グローバル企業のアジア・ヘッドクォーターが集まる街、そして日本の経済成長を牽引する街にしていきたい。

現在でも丸の内エリアは経営者の密度が高く、「経営者密度」がこれほど高い街は世界でも他に類がありません。さらにグローバル企業が集まってくることによって、世界の重要な決定の多くがここで行われるようにする。丸の内をそんな「意思決定が行われる街」にしたいと私は願っています。

PROFILE

細包 憲志(ほそかね けんじ)
三菱地所株式会社 ビルアセット開発部長
1961年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。1990年三菱地所入社。都市開発部、丸の内開発事業部、都市計画事業室長等を歴任し、2013年4月から現職。
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