日銀からベンチャーへと転身、金融業界の革新に挑戦するマネーフォワード執行役員 神田潤一さんの「出世観」

doda X(旧:iX転職)は、パーソルキャリアが運営するハイクラス転職サービス。今すぐ転職しない方にも登録いただいています。
今の自分の市場価値を確かめてみましょう。

人びとの働き方が多様化する中、これまでキャリアを積んできたビジネスパーソンにとって、このまま同じ組織で出世を目指すか、あるいは「安定と高給」を求めて居つづけるか、それとも社外へ出て新たな挑戦に踏み出すべきか・・・どの選択肢を取るべきかと悩む人も多いのでは?

そんな中、日本銀行という「絶対安泰」ともいえるような組織で20年余りキャリアを築いてきたにも関わらず、2017年に金融系ベンチャーのマネーフォワードへと転職、執行役員に就任し、最先端トピックである仮想通貨に関する新規事業にも携わるのが神田潤一さんです。

日銀から出向していた金融庁時代にフィンテックを担当したことが転職の大きなきっかけとなりましたが、最終的に決断したのは「自分らしく生きることが大切だったから」。その言葉の真意、決断の背景から、時代が激しく変化する今ならではのキャリア観を探りますーー(取材は2018年4月18日に実施)。

株式会社マネーフォワード 執行役員 渉外/事業開発担当 神田潤一

PROFILE

株式会社マネーフォワード 執行役員 渉外/事業開発担当 神田潤一
神田潤一
株式会社マネーフォワード 執行役員 渉外/事業開発担当
1994年東京大学経済学部卒業、同年日本銀行入行。2000年に米イェール大学より修士号取得。2004年より日本銀行金融機構局で金融機関等のモニタリング・考査を担当。2011年に日本生命に出向し、運用リスク管理を担当(2012年まで)。2014年より日本銀行金融機構局考査運営課市場・流動性リスク考査グループ長。2015年8月から2017年7月まで金融庁に出向し、総務企画局企画課信用制度参事官室企画官として、日本の決済制度・インフラの高度化、及びフィンテック関連の調査・政策企画に従事。2017年9月に株式会社マネーフォワードへ入社し、同年12月から現職。

「受け身の人事」で築いてきたこれまでのキャリア

マネーフォワードへ入社されるまで、23年間日本銀行(以下、日銀)に勤めていらっしゃったんですね。

株式会社マネーフォワード 執行役員 渉外/事業開発担当 神田潤一

日銀では総合職ということで、さまざまな部署に配属されました。前半はいろんな仕事を経験して、自分の専門分野を見つけていく時期。中でも、4年間勤めたシステム情報局で銀行間の決済システムの保守や再構築に関わったのは、今の仕事ともつながっているかもしれません。キャリアの後半では専門分野が少しずつ定まってきて、各金融機関の経営状況のモニタリングや考査を行っていました。

一貫して「受け身の人事」というか、「この部署に行け」という発令に従ってキャリアを築いてきましたが、なるべく社外の人と関わるような仕事の仕方をしよう、というのは意識してきました。海外留学で、価値観や背景の異なる人とともに生活して、社会人になってもう一度勉強した経験も、自分としてはかなり大きな機会でしたね。

日銀で「社外との関わり」を意識することは、あまり一般的ではなかったのでしょうか。

以前は金融機関とのやりとりも多かったですし、プライベートで親しくさせてもらうこともあったようです。ただ、一時「大蔵省(現・財務省)官僚・日銀マンの癒着問題」と取り沙汰されたこともあって、以来対外的な交流は格段に減りました。

外とのつながりが減った中で、どうしても内向きな意識が強くなっていく状況に危機感を持っていました。そうした中で、上司や部下、あるいは横の部署の人とうまくやっていくことが出世の近道だという意識が、組織の中で徐々に強くなっていったように思います。

そんな中、なぜ神田さんは外へ活路を見いだしたのですか。

日銀入行1年目のころ(出典:Wantedly|MoneyForward's ROOM)
日銀入行1年目のころ(出典:Wantedly|MoneyForward’s ROOM)

単純に、社外の人と話しているのが面白かったんですよ。メガバンクや外資系銀行の日本拠点など、主要な金融機関を考査する中で、最先端のリスク管理や経営をつぶさに見ることができた。当然ですが、日銀とは考え方も意思決定も、カルチャーも違うんですよね。それがとても新鮮で。日本生命や金融庁への出向で、外で働く経験ができたのも大きかった。日銀だけではない、相対的な価値観を知ることができたのは、私にとって大きな糧となりました。

神田さんがフィンテックに関わるようになったのは、どんなきっかけだったのですか。

それもまさに「受け身の人事」ですよ。2015年に金融庁へ出向する際、「フィンテックを担当してもらうことになるから」と辞令を受けたわけです。でも、実はフィンテックってよく知らなくて(笑)。家に帰って、「フィンテック」で検索して、なるほどそういうものか、でもそこで何をするんだろう・・・という感じで、金融庁に勤めることになったわけです。

確かに、当時はこれほどまで大きなトピックになるとは思われていませんでした。まさに勃興期の最中に身を置くことになったと思うのですが、いかがでしたか。

それまでにも、何か新しいことに取り組むことはありましたけど、金融庁で仕事を始めてすぐ、フィンテックはまさに金融業界・・・あるいはそれ以上に大きく世界を変えるものかもしれない、という直感がありました。金融機関以外が金融の世界に携わることになるのですから、さまざまなバックグラウンドを持つ人たちとかなり緊密なやり取りが必要になってくるであろうことは予想していましたが、それ以上に、その制度設計に携われることは自分のキャリアにとっても刺激的だと感じましたし、とても幸せだと思えましたね。

株式会社マネーフォワード 執行役員 渉外/事業開発担当 神田潤一

神田さんは金融庁でどんな業務を行うことになったのですか。

当時、金融庁もまだフィンテックをいかに政策へ取り入れていくか、制度をどのように整備するか、具体的には打ち出してはいませんでした。ですから、実際にフィンテックを取り扱っている企業、事業化しようとしている企業の方と、どんな制度やバックアップがあれば、イノベーションが起こるのか、さまざまな議論を行いながら、都度金融庁へ持ち帰り、そこでもまた議論する、という形で政策企画を進めていきました。

でも、逆の立場で考えると、「フィンテック業界に金融庁の人が来る」って、ちょっと構えてしまうと思うんです。「この人は敵か? それとも味方?」みたいな。それこそ、「半沢直樹」みたいに、突然、強面の方々が企業へ乗り込んできて、「監査します」とシビアに言いはなつような。

確かに、ちょっと緊張感が走りそうですね。

ただ、金融庁としては、フィンテックそのものはこれからの時代、金融サービスを進化させ、便利なものにするだろうという認識がありましたから、あくまでポジティブに議論をしよう、というスタンスを打ち出したかったんです。それで、着任1カ月後に、一般社団法人Fintech協会の設立で挨拶したとき、「オペラ」を歌ったんですよ。

出典:Wantedly|MoneyForward's ROOM、写真提供:Goodway
出典:Wantedly|MoneyForward’s ROOM、写真提供:Goodway

オペラ、ですか!? 確か、神田さんは “名物官僚” と言われていたとか。

趣味で、ちゃんとボイストレーニングも受けてるんです(笑)。いや、壇上で挨拶をしようとまわりを見渡すと、あまりにみなさん、緊張されていて。これは何を言っても伝わらないな・・・と感じて、「金融庁はみなさんをサポートしようと思っています。その気持ちをこれから、歌で表現します」と、椿姫の『乾杯』を歌ったんです。自分でもとっさにやってしまったことなんですけど、一気に雰囲気がほぐれました。

その後にも、飲み会に呼ばれて、「二次会に行きましょう」と積極的に誘ってもらえるようになって・・・なんというか、お互いの立場を超えて、フィンテックのコミュニティに入れてもらえたような気がしました。

16枚のレポートで妻を説得・・・「それでもベンチャーへ行きたかった」理由

金融庁でフィンテックを担当するようになって、関係性も構築して、順調に業務を推進していけるようになった。それなのになぜ、日銀を退職されたのですか。

金融庁への出向が終わって、日銀でそれまでの考査業務に戻ることになったんです。考査業務自体はそれまでも10年間携わっていたし、自分にも合っていると思っていましたが、40代半ばになって、これから日銀でまたそういうキャリアを歩んでいくんだろうな、と考えたとき、どうにも寂しくなってしまったんです。

金融庁への出向終了時にフィンテックコミュニティで開催された神田さんに感謝する会(出典:Wantedly|MoneyForward's ROOM)
金融庁への出向終了時にフィンテックコミュニティで開催された神田さんに感謝する会(出典:Wantedly|MoneyForward’s ROOM)

これからフィンテックという新しい金融の形が生まれて、その最中でいきいきと働いている企業の人たちがいて、ものすごいスピードの急行列車で進もうとしている・・・そこから急に自分だけ飛び降りることになった。これまでフィンテックを振興してきて、少しずつ形になっていくのを引き続き見守っていたい、関わっていきたいという強い思いがあって、日銀で元の業務へ戻ってみると、その思いが抑えきれなくなったんです。

司馬遼太郎の『坂の上の雲』には、明治維新で国を作ろうという、時代の群像が描かれていますけど、新しく「フィンテック」という産業を作っていく。いきいきと躍動していくところを、外から眺めるんじゃなくて、自分もその群像の一人でありたかった。またみんなと仕事がしたいと思ったんです。

転職を決断したとき、まわりの反応はいかがでしたか。

日銀の同期も上司も、はじめは理解できなかったと思います。「なぜやめるのか」と、総じて不思議そうでした。安定した組織だし、これからキャリアの総仕上げで、肩書きも給料も上がっていく。「これからがいい時期じゃないか」と。

株式会社マネーフォワード 執行役員 渉外/事業開発担当 神田潤一

もちろん、妻も大反対でした。子どももまだ小学生ですし、手もお金もかかる。「ベンチャー企業」なんて、数年後にはどうなるか分からない、みたいな感じじゃないですか。冷静に説明を重ねたつもりでしたが、理解してもらえませんでした。口頭でやり取りしてもなかなか噛み合わないので、最終的には「考えていることをメールでくれ」と言われたんですよ。活字を読んで、冷静に考えたい、と。

それで、つらつらと書き始めたら止まらなくて。最初はメールにベタ打ちしてたんですけど全然収まらなくって、結局ワードファイルで「16枚」にものぼるレポートになったんですよ。

16枚! おそらく13000文字くらいにはなりますよね・・・ライターの私からしても長文の大作です。

妻もまさか、そんなに長いものが来るとは思っていなかったでしょうね。実は、ちゃんと感想を聞いたわけではないので、読んだか読んでいないかは分からないんですけど、諦めてくれた、というか。私の意思が固いのを理解してくれたんだと思います。

マネーフォワードではどんな業務に携わっているのですか。

入社してしばらくは金融機関へ挨拶回りして、一緒に何ができるか、さまざまな可能性を相談する渉外やRM(リレーション・マネジメント)の仕事を行ってきました。その中で出てきた議論や課題をマネーフォワードの中期計画に反映しつつ、注力分野としてブロックチェーン、仮想通貨事業の立ち上げと、事業開発にも携わっています。

これまでのキャリアとはまた違う業務だと思いますが、いかがですか。

マネーフォワード

まず、スピード感がまったく違いますよね。とにかく意思決定が早い。しかも、基本的に「前へ進む」という前提があるんですよ。これまではどうしても、「検討した上で、様子を見る」「検討に検討を重ね、時間をかけたけどやらない」ということが起こり得た。それはそれで、日銀や金融庁には必要なプロセスなんですよ。金融というシビアな世界のことですから、慎重に慎重を期する必然性があった。でも、今は自分たちがスピード感を持って動くことで、まさに時代が動いていくという実感がある。やりがいも大きいです。

それと、組織がとてもフラット。社長の辻ともさまざまな案件で直接やり取りをしますし、それこそ意見を戦わせて物事を決めていくこともあります。チャットでさまざまな案件が並行して進んでいくのも、最初は全然慣れませんでした。しばらく見ていないとついていけなくて、最初は「ちゃんとチャット見てくださいよ」と怒られることもありました(笑)。同僚も若いですし、おそらく自分が社内では上から3、4番目に年上なんですよ。社長も6歳年下で発想も柔軟で豊かですし、全体としてコミュニケーションも軽やか。そんな環境に身を置くことで、自分自身も若返ったような感覚です。

マネーフォワード

どんな組織でも成果を出すためには、「肩書きより人柄」で仕事を

日銀という「安泰」な組織からベンチャー企業へ転職するのは、想像以上のハードルがあったのではないかと感じます。なぜ、自分の思いを貫かれたのでしょうか。

これは、日銀に入社したときから変わっていないんですけど、ずっと「社会や日本全体のためになる仕事をしたい」と思っていたんです。「変化する時代に対応する」のではなく、「時代を変える」仕事をしたい、時代を変えられるような側にいたい、という思いがありました。それがたまたま今、実現できるのがマネーフォワードだった、ということ。その背景にはやはり、時代の変化が大いに関係しています。

何かその変化を感じとったきっかけはありましたか。

私が社会人になったのは1994年、バブルが弾けた後とはいえ、まだその名残は色濃く、金融機関は人気の業種でした。ゼミの友人も金融機関へ進む人が多くて、「メガバンクに行けば人生安泰」という時代に、私も金融の世界を選んだわけです。

けれども金融危機を経て、当時10以上あった都市銀行も合併が進んで、今やメガバンクは三菱UFJ、三井住友、みずほの三行。「あの銀行はちょっと社風が合わないから、この銀行だな」と、それぞれ考えて入行したはずなのに、統合されて結局同じ傘の下で働くことになった。友人たちが悩んで、転職していった様子を見ながら、決して、永続的、安定的なキャリアはないんだなと感じました。

株式会社マネーフォワード 執行役員 渉外/事業開発担当 神田潤一

しかし日銀が破綻することはまず考えにくい。そんなことが起これば、日本の財政が破綻するのですから。

確かにそうですが、少なくとも社会環境はどんどん変わっていく。そこで「自分にとってこの環境はベストなんだろうか」という問いは生まれてくるわけです。

例えば、大企業においてオープンイノベーションの必要性が叫ばれて久しいですが、これまで組織の中で出世した人が意思決定すればよかったのが、外部識者や関係者からの意見で意思決定することも起こりうる。変化する時代の中で、外部の変化を中に取り入れる必要性が出てきました。だとすれば、一つの会社でキャリアを積み上げることだけではなく、自分を生かせる環境や時代の最前線へ身を置いて、外部から大きな組織の意思決定に参画することもありえるでしょう。

マネーフォワード

その上で、社会貢献するためにベストな方法を考えたとき、そのまま大きな組織の中で出世して、自分の存在価値を発揮するか、それとも外へ出て、自分らしい働き方で成果を生み出すのか、どちらがいいのかを考えて、選ぶべき選択肢を選んだ、ということです。

どんな環境へ身を置いたほうが、ご自身の働く意義でもある「社会貢献」に寄与できるか、と考えたということですね。

おそらく、あのまま日銀で勤めても、それなりに満足のいく人生ではあったと思うんです。まわりからそれなりの評価も得られていたかもしれない。ただ、それだけでは物足りなくなってしまった。このまま働けば90点や95点、高得点の人生かもしれないけど、もし150点の可能性があれば、それに賭けてみたい。他でもない、自分の人生ですからね。

これまでのキャリアで、日銀の各部署、日本生命、金融庁、留学先・・・それぞれで尊敬できる人に出会えたけど、やはり、「自分らしくあること」がとても大事だと思った。自分らしく働いて、関係性を築いて、自分にしかできないことが広がっていく。そう考えて今、環境を変えて、民間で働くのが「自分らしく生きることだ」と思えたんです。

株式会社マネーフォワード 執行役員 渉外/事業開発担当 神田潤一

「自分らしさ」というものは、これまで多くの組織で重要視されていなかったように思います。いざ「自分らしく」と言われても、ピンとこない人が多いのでは?

確かに、組織の中では自分らしさよりむしろ役職や肩書きが物を言いますし、それに基づいて仕事をしている人は多いと思います。そういう人は、これまで通り、自分のいる組織の中で出世を目指したほうがいいかもしれない。

だけど、肩書きで仕事をしていると、外に出ると不安になるんですよ。仕事の中で相手と対峙したとき、肩書きではなくその人自身として判断する。その人とどう付き合い、どう仕事をするのかを自分なりに考えられる人でなければ、身ひとつで会社の外へ出たとき、うまくやっていくことは難しいのではないかと思います。

株式会社マネーフォワード 執行役員 渉外/事業開発担当 神田潤一

それはある意味、どんな組織や環境でも自分の能力を発揮できるかどうか、分水嶺になるかもしれませんね。神田さんご自身に何か、迷ったときの判断基準になるような価値観や考え方はありますか。

これまでの経験的に、自分ひとりで悩んでいても、いいアイデアが出てきた試しがないんですよね。ですから、何か迷ったら、いろんな人の話を聞くというか、手当たり次第、飲みに誘うようにしています。そのときに「会いたいな」と思う人は、やはり自分にとって必要な示唆を与えてくれる人なんです。別に、直接的に悩みを相談するわけではなくても、話しているうちに進むべき道が見えてくる。まぁ、誘われたほうは「迷惑だ」と思ってるかもしれませんけど(笑)。

神田さんのご経歴はいわゆる「エリート」と言われるにふさわしいものだと思うのですが、なぜそんなに謙虚でいられるんでしょうか。

いやぁ・・・私自身、悩んだときの自分を信じていないんですよ(笑)。世の中にはすごい人がいっぱいいるんです。東大に行ったら考えてもみないような天才がいて、日銀にも頭が良くて仕事がバリバリできて、人間的にもすばらしい人たちがいた。

マネーフォワード

それに、この世界では、私はまだ半年しかいない新参者ですからね。まわりは年下ばかりとはいえ、みんな先輩です。彼らと何を作っていけるのか、自分がどうやって貢献できるのかは、年齢やこれまでの経験、キャリアに関係なく、ひたすら考えて、実践していかなければなりません。

背景や価値観も異なるさまざまな人といろんな話をすることで、ようやく自分にアイデアが生まれることもある。自分一人で考えすぎず、とにかく足を動かしつづけていろんな人に会い、インプットをもらうことで、自分でも気づかなかった方向が進むべき道だと気づき、歩き始められるのではないかと思います。

株式会社マネーフォワード 執行役員 渉外/事業開発担当 神田潤一

[取材・文] 大矢幸世、岡徳之 [撮影] 伊藤圭

今すぐ転職しなくても、
まずは自分の市場価値を確かめて
みませんか?

変化の激しい時代、キャリアはますます多様化しています。
ハイクラス転職サービス「doda X(旧:iX転職)」に登録して、
ヘッドハンターからスカウトを受け取ってみませんか?