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INTERVIEW
変わる人びとの「帰属意識」。会社にすべてを捧げなくなった私たちに迫られる変革とは?
INTERVIEW

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BOOK MARK

会社に属し、会社のためにすべてを捧げる、そんなかつての当たり前が、当たり前のものではなくなりつつあります。今回は、人びとの「帰属意識」というものが今どのように変化し、それが働く個人と社会のあり方にどのような変革を迫っているのか、考えたいと思います。

お話を伺う河崎純真さんは、15歳でエンジニアとして働き始め、Tokyo Otaku Modeなど複数のITベンチャーの立ち上げ、事業売却などに携わってきた人物。現在は人びとの帰属意識の変化に適応した新しい社会システムをブロックチェーン技術で実現しようとしています。

ブロックチェーンの革新性を「馬から車。手紙からメール。国・銀行からブロックチェーン」と表現し、「信用が陳腐化した未来」を見据える河崎さん。帰属意識とブロックチェーンをめぐる話の最後にたどり着いたのは、「自分とは何か」という本質的な問いでした。

Commons Inc. Co-founder/Gftd Japan 株式会社 代表取締役 河崎純真

PROFILE

Commons Inc. Co-founder/Gftd Japan 株式会社 代表取締役 河崎純真
河崎純真
Commons Inc. Co-founder/Gftd Japan 株式会社 代表取締役
「50年後も続けていたい仕事を」と2016年に発達障害者支援事業を開始。同時期にコミュニティから国に至るまでその管理を可能にするブロックチェーンOS「Commons OS」の開発に向けて動き始める。現在は「社会は変えられないけど、つくれる」をCommons Inc.のスローガンとして掲げ、そのOSを活用し、共感ベースの小さな経済圏の実装に向けてグローバル展開を視野に実証実験を進めている。

「十人一色」から「一人一色」、さらには「一人十色」の時代へ

「会社のために働く」「お金のために働く」という、かつては当たり前にも思えた価値観が、若い人を中心に通用しなくなっているという話を聞きます。

最近まで当たり前に信じられてきた「●●のため」という価値観や帰属意識の多くは作られたものだし、意外に歴史が浅いです。

帰属意識の変遷を見てみると、1870年代くらいまでの日本にはせいぜい「地域のため」「家のため」「殿さま(藩)のため」くらいしかありませんでした。日本という国が生まれたのはそのあと。だから「日本のため」という価値観も1900年ごろになってようやく生まれたものです。

「会社のため」が生まれたのはそれよりもさらにあとのこと。明治以前の日本においては、働く=丁稚奉公で、誰かの家に入ることでした。だから働くのは「家のため」だったし、雇う側からすれば、一生面倒を見るのは当然だったわけです。

このように見ていけば、「会社のために働く」「お金のために働く」という価値観が絶対的なものでないことが分かります。僕がよく言うのは、かつては「十人一色」の時代だったけれども、今は「一人一色」の時代に変わった。今後はさらに「一人十色」の時代になっていくだろう、ということで。

どういうことですか?

昭和初期は国家が主導して日本人という一つのアイデンティティを国民一人ひとりに植えつけ、それによって民族をまとめ上げようとした。だからそこに何人の人がいようが、日本人という一色のアイデンティティしかなかった。これが「十人一色」の時代です。

けれども、その後グローバル資本主義によって世界がつながり、インターネットができたことで人びとはさまざまな価値観に触れるようになりました。その結果、人には個性があり、一人ひとり違うはずだという話になった。これが「一人一色」の時代です。

僕はさらに、今後は「一人十色」の時代になると考えています。「一人十色」というのは、日本人でありアメリカ人であり、会社員であり同時にフリーランスでもあり、男であり女でもあるということ。多層性・重層性の時代が訪れるということです。

帰属意識の変化

なぜそう考えられますか。

「一人一色」の考え方のベースには西洋主義があります。西洋主義とは「存在が存在する」という価値観ですが、これはまったくナンセンスなんですよ。

トランプやブレグジットの例が象徴するように、世界では今、分断が起きていますよね? なぜ分断が起きるのかといえば、彼ら西洋人が「アメリカというものが存在する」「イギリスというものが存在する」「白人というものが存在する」・・・と考えているからです。

本来「アメリカというもの」「イギリスというもの」は存在しません。あるのは関係性だけです。いろいろなものとの相互比較や関係性があるのであって、それ単体で存在することはない。

なおかつ、人間は本来、多層的・重層的にさまざまな関係性をもって生きているじゃないですか。「私は男だが、同時にある会社の社員であり、エンジニアであり、日本人でもある」というように。無数のアイデンティティが重なって一つの「私」という存在になっている。だから「一人十色」という話になるんです。

ブロックチェーンが信用を陳腐化し、無数の小コミュニティが生まれる

けれども「私」は昔からそのようにしてできていたのではないですか? なぜ今になって急に、人びとの意識が変わるのでしょうか。

「私」は昔からそのようにできていたというのは正しくない気がしますね。1800年ごろから長きにわたって硬直化したトップダウンの価値観しかなかった時代が続いていました。そうした社会に変化が起き、個人の主権が認められたこと自体がごく最近のことです。

ただ、「個人の主権が・・・」と言った時に、ベースにあるのはやはり「アイデンティティは一つ」という西洋主義の考え方。その考え方には先ほど触れたような限界があります。社会環境の変化などもあり、その限界が表面化してきているということではないか、と。

Commons Inc. Co-founder/Gftd Japan 株式会社 代表取締役 河崎純真

西洋の考え方は「永遠があり、存在があり、普遍性がある」という前提ですべてが作られています。だから主張が強く、一つのロジックしか許さない。「空白地」があったころであればそれでもよかったけれど、地球上にはもはや「空白地」がありません。「空白地」がない今、トランプやブレグジットのように「自分が言っていることは絶対的に正しい。他は間違っている」と主張していては、必ず紛争が起こります。

今考えなければならないのはそうではなく、地球上にさまざまある価値観をどう調和させるかという話のはずです。調和は、そもそも正しいも間違いもない、いろいろな文化を認め合うというスタンスに立って初めて成り立つもの。そのための考え方が東洋にはあります。

まず「諸行無常」だから「永遠はない」ということですし、「諸法無我」「一切皆空」だから「自分や存在は存在しない」という前提に立っています。さらに「縁起」の概念に見られるように、すべては関係性として理解されている。これからの時代にすごくマッチする考え方だと思いますね。

人びとの帰属意識がそのように多層的・重層的に変わると、社会の側も変わらざるを得ませんよね?

技術的特異点=シンギュラリティが訪れるとされる2045年に私たちの社会はどうなっているか。アメリカの石油会社シェルは、想定される未来シナリオには3パターンしかないと言っています。

一つはアメリカや中国のような大国が世界のすべてを支配するシナリオ。一つは国家が小さく解体され、無数のNPONGOITでエンパワーメントされて自生的に秩序を作っていくシナリオ。もう一つはその合いの子で、大国が分散化を主導するシナリオです。

先ほど触れたような人びとの帰属意識の変化を踏まえると、大国が一つの価値観ですべてを支配する『1984』的、ビッグ・ブラザー的な未来よりも、二つ目のシナリオのほうが好ましいように僕には思えます。

僕らは今、ブロックチェーン技術を使って国境を超えてアジア全域にまたがる生協組合を作っているんですが、これもそうした未来の到来を想定したもので。いずれは中央銀行や強大な国家が消え、より小さいコミュニティによって政府が成立する時代が来ると考えています。

「馬から車。手紙からメール。銀行、国からブロックチェーン」――。ぼくはよくこういう表現を使うんですが、ブロックチェーンはそれくらいに革新的な技術です。ブロックチェーンは「信用」を陳腐化するでしょう。

信用が陳腐化する・・・。

Commons Inc. Co-founder/Gftd Japan 株式会社 代表取締役 河崎純真

これまでの経済活動は、取引する二者がともに信用している第三者、すなわち国や中央銀行を介して価値交換を行ってきました。けれども、国や中央銀行が信用を担保している状態には問題があります。不正ができるし、改ざんができるし、耐障害性が弱いからです。

ブロックチェーンはこの問題を劇的に改善します。ブロックチェーン上にはそれまでに行われたすべての取引履歴がデータとして積み重なっていて、そのことによって「今この人が持っているもの」に確かに価値があることが証明される技術です。これは誰か一人が信用を担保している状態よりもずっと安全。だからこれまでのような国や中央銀行による信用の担保が必要なくなるんです。

諸行は無常だから、どんな社会システムも変わらないままでずっとうまくいくことはありません。ただ、今あるものを無理やり変えようとしても、「今のままがいい」という人も中にはいるからなかなか難しい。ならば古いものはそのままに、新しいものを生み出したほうがいいというのが僕の考え方で。

そうすると、短期的には何も変わっていないけれども新しい状況が生まれることになる。長期的に見てそちらのほうがいいとなれば人はどんどん新しいほうへ移っていくはずです。

僕らが今、Commons Inc.の活動で国家という既存のしくみそのものを変えるのではなく、国家主権に依存しない互助組織――近しい価値観を持つ人たちが集い、金融をはじめ、就労、衣食住、コミュニケーションなど生きていくのに必要なインフラ、経済圏を、自分たちだけで築くためのパッケージを新しく作っているのはそういうわけです。

Commons Inc.が実現を目指す新しいコミュニティ像
Commons Inc.が実現を目指す新しいコミュニティ像

自分をどこまで拡張するかに自覚的であれ

信用が陳腐化すると、経済活動、「働く」はどうなりますか。

信用が陳腐化した先には、共感が大切な時代がやってくると思いますね。

共感が大切な時代、ですか。

突然ですけど、「1億円あげます。代わりに一生家族とは会えません」と言われたらどうしますか? 1億円受け取りますか?

自分は受け取らないでしょうね。

受け取らないという人にとっては、家族という関係性には1億円以上の価値があるということです。こうした関係性のことを社会関係資本と呼びます。ただし、あらゆる関係性に価値があるわけではない。価値があるのはその人が共感している関係性だけです。「共感が大切な時代が来る」とは、多くの人がこうした価値に気づく時代と言えるでしょう。

Commons Inc. Co-founder/Gftd Japan 株式会社 代表取締役 河崎純真

けれども実を言えば、僕らはもともと共感の経済を生きているんですよ。例えば、仲良くなった人に「飲みに行きましょう」と誘われたとして、「いいですよ。1時間いくらで」とはならないですよね? それはその人と一緒に過ごす時間が楽しいはずと考えている、つまりはその人に共感しているからです。

このように世の中の99.9%はもともと共感の経済で回っています。信用の経済、お金のやり取りというのは経済活動のごく一部に過ぎないんです。にもかかわらず信用の経済ばかりを重視していると、自分が共感するような価値ある関係性を失う結果になりかねません。

「お金はあるが友達がいない」状態になってしまうというわけですね。

そう。ということは、自分にとって何が価値のある関係性なのかを知っている必要がある。別の言葉で言い換えるなら、「自分とは何か」を知る必要があるということです。

これまでは生まれた場所の価値観に従う以外になかったから、改めて「自分とは何か」「自分にとって価値ある関係性とは何か」と考える必要はありませんでした。けれども今では、インターネットを通じてさまざまな価値観に触れられるし、LCCを使えば世界中どこにだって安価に行ける。そのぶん、自分という主体を自分で決める必要性が増しているんです。

今日の話は「なんのために働くのか」という問いからスタートしましたけど、その答えはとてもシンプルで。なんのために働いたっていいんですよ。働き方にしても、正社員でも、フリーランスでも、YouTuberでもいい。働かずに生きる道を選んだっていい。

そこには正しいも間違っているもありません。ただし、「自分がそれを選んだ」ということにだけは自覚的な必要があるということです。

Commons Inc. Co-founder/Gftd Japan 株式会社 代表取締役 河崎純真

「なんでもいい」と言われると逆に困る人も中にはいそうです。

なんでもいい。ただ、社会関係資本をたくさん持っている人のほうが幸せになりやすい、社会関係資本は幸福度に直結する、とは言えるでしょうね。

さっき「1億円もらっても家族を売らない」とおっしゃってましたが、そこまで来るとこれはもう、自他不分離の状態です。家族=自分。帰属というより自分の拡張です。このように自分を拡張すると幸福度は増します。なぜなら拡張した先の人の幸せが自分の幸せになるからです。

けれどもこれには悪い面もあります。家族=自分ということは、家族が傷つけば自分も傷つくことを意味します。日本=自分なら、日本が傷つけば自分も傷つく。地球=自分なら、地球が傷つけば自分も傷つく・・・。自分を拡張している人ほど傷つきやすくもあるんです。

だからこそ、「自分とは何か」には自覚的である必要がある。日本人には無自覚に自分を拡張し、勝手に傷つく人が多いように思えます。

どこまでを自分であると考えるかが大切なのはとてもよく分かります。でも、最初は自分がやりたいと思って主体的にやっていたことも、世の中から受け入れられると、次第にそこに寄せられる人の期待に突き動かされるようになって、いつしか自分の範囲を自分で決められない状態に陥ることもある気がするんですが・・・。

もちろん周りから求められることはあるでしょうが、仮に求められたとしても「やりません」と言えばいいだけの話。公人としての役割に疲れている人がいるのだとしたら、それは自分を知らないんです。

会社=自分とするか。日本社会=自分とするか。それを決めるのは自分自身です。共感しないものにまで自分を拡張する必要はどこにもない。家族でさえ他人と考えたっていいんです。現にユダヤ人はそのように考えます。個々人を独立した存在として見るから、子供だって他人です。

繰り返し言っているように、そこに正しいも間違っているもありません。あるのは自分がそう決めるかどうかという話だけなんですよ。

Commons Inc. Co-founder/Gftd Japan 株式会社 代表取締役 河崎純真

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[取材・文] 鈴木陸夫、岡徳之 [撮影] 伊藤圭

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