博報堂から渋谷区長へ、長谷部健さんに聞く異業界で活躍するための思考法

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読者には組織の中でその能力を発揮し、周りからの評価を得ている人も多いでしょう。ただ、自らのキャリアパスを考えたとき、そのスキルが果たして他の会社や異業界でも通用するものなのかどうか、自分の常識が、組織内のみの論理に膠着化してしまっているのではないかと、不安を覚える人もいるのではないでしょうか。

現在、渋谷区長を務める長谷部健さんは、広告会社の博報堂に在籍した後、まったくの異業界である政治の世界に飛び込みました。区議会議員時代は宮下公園のリニューアルやNPO法人green bird、NPO法人シブヤ大学の設立など、全国的にも注目を集める活動を行い、2015年には渋谷区長に就任しました。

確固たるキャリアを築きながら、転職を決断したその背景にはどんな思いがあったのでしょうか。また、異業界で活躍するための思考法とは… 長谷部さんに話を伺いました。

東京都渋谷区長 長谷部健

PROFILE

東京都渋谷区長 長谷部健
長谷部健
東京都渋谷区長
1972年東京都渋谷区生まれ。大学卒業後、株式会社博報堂に入社。LAWSON、JT、TOWER RECORDSなどを担当した後、2002年に博報堂を退社。2003年1月、ゴミ問題に関するNPO法人green birdを設立。原宿・表参道を中心にゴミのポイ捨て対策プロモーション活動を開始。同年4月、渋谷区議会議員選挙でトップ当選を果たし、計3期区議を務めた。2015年から渋谷区長に就任

同級生からの思いがけない誘い

ー長谷部さんは博報堂に勤め、退職後、自らNPO法人green birdを設立。2003年に渋谷区議会議員へと転身されました。広告から政治と、まったく異なる業界ですが、どんなきっかけがあったのでしょうか。

忘れもしませんが、27歳の時に地元の同級生から「区議会議員にならないか」と声をかけられたんです。

彼は表参道の商店会の一つである「欅会」の副理事長をしていたのですが、ちょうどそのころ表参道のイルミネーションが中止に追い込まれ、表参道のまちづくりを改めて見直そうという機運が高まっていた時期でもありました。そこで「誰か活きのいいやつはいないか」ということで、僕に白羽の矢が立ったようです。

ただ、その時は一笑に付したんですよ。「いや、むしろお前が出たほうがいいだろ。コミュニケーションプランを組み立てて、きっちり当選させるから!」って(笑) けれども、その後もことあるごとに「やろうよ」と声をかけてくれて。

政治家になる気はさらさらありませんでしたが、会社を辞めることにまったく抵抗はありませんでした。博報堂の同期にはたまたま(慶応)SFC出身のやつも多くて、ベンチャーマインドを持った人が多かったんです。社食でランチしながら、「辞めたら何したい?」「独立したらどんなことする?」とよくポジティブに話していました。

僕自身は当時、独立したらクリエイティブエージェンシーをやりたいと考えていたんです。カンヌの広告祭を見ていても社会貢献的なメッセージが強くなってきていて、CSR活動に力を入れる企業も増えていました。海外の潮流を見ていると、日本の公共広告はキレイすぎるんじゃないかと感じていて。社会貢献にフォーカスして、強いメッセージを伝えられるようなクリエイティブエージェンシーがあれば、やっていけるんじゃないかと思ったんです。

区長室にはハチ公の姿も
区長室にはハチ公の姿も

ーけれども結果的には、政治の世界に飛び込むことにしたんですね。

まぁ、辞めるにもエネルギーがいるし、最後の一歩を踏み出すかどうか、迷いがあったんですよね。そうこうしているうちに、同級生からの口説き方も変わってきて。「区議会議員だって、まちのプロデューサーじゃないか」と。

そんなふうにおだてられると、例えば、バレンタインデーに表参道を歩行者天国にして、自動車メーカーにスポンサーになってもらって、「こんな日は、手をつなごう」なんてイベントをやったら、街も盛り上がるし、スポンサーにもメリットがあるんじゃないか…とどんどんアイデアが湧いてきて。

確かに、街に暮らす人びとのクオリティ・オブ・ライフを上げるために、法律や条例だけでなく、他にもできることはたくさんあるんじゃないか、と考えるようになったんです。

また、博報堂を退職して、区議会議員選挙までの準備期間に、表参道のゴミ拾いに参加したことも、大きなきっかけになりました。ゴミを拾うという行為をもっとポジティブに楽しく表現したのがgreen birdプロジェクトの発端でした。まさにこういうことがしたかったんだ、と思えたんです。

「区議会議員よりも博報堂の名刺を持っていた方が、合コンではモテるよな」なんてことが一瞬頭をよぎったというのは冗談として(笑)、区議会議員というより、ソーシャル・プロデューサーとして、やっていけそうな気がするという確信を得たんですよね。

東京都渋谷区長 長谷部健

守りだけでなく攻めの課題解決を

ー実際に区議会議員として、そして2015年からは区長として行政に携わる中で、それまでの広告業界とのギャップを感じましたか?

いやそれはもう、全然違いますよ。物事の考え方も、仕事の進め方も、文化もなにもかもが違う。けれども、似ているというか、考え方によっては近いなと思うところもあって。区議会議員の頃は、「クライアントが渋谷区役所と区長、ターゲットは渋谷区民」という捉え方で仕事をしていました。

区議会議員を務めながら、いくつかNPOを起こしたり、民間企業と協力したりするのも、あくまで社会課題を解決するための一手段という感じでした。「博報堂の長谷部健」から「ただの長谷部健」になって、旗を掲げてみると、いろんな人と出会えたり、賛同者が増えたりしました。そこから広がるネットワークがすごくおもしろかったし、より良いアウトプットにもつながっていった。自分にとってもいいサイクルになっていたんです。

渋谷区長になったのは、前区長の桑原さんから後継指名を受けて、という理由ですから、個人的には予想外のことでした。正直なところ、区議会議員のままでもいいバランスを保てていると考えていましたから。けれども、区長という立場になって、「自分がクライアントにプレゼンする」というより、自らがプロジェクトを決裁して、責任を負う立場になったというやりがいはありますね。

ー異業種からの転身ということで、行政の課題も客観的に捉えられたのではないでしょうか。

世間でもよく言われることでもあり、行政に携わり始めても感じたことですが、やはり縦割り型組織で、横のやり取りが少ないというのは現実としてありました。そこに横串を刺すことで、状況が改善し、いい方向に向かっている部分はあると思います。

ただ、よく「行政の仕事は遅い」と言われますが、実際に身を置いてみると、同情的に感じるところもあるんです。日々、さまざまな要望や意見が寄せられ、その対応に多くの時間を割かれてしまう。民間企業なら「これは致しかねます」などと見過ごすことも可能でしょうが、行政ではそうはいきません。

「しかし、そう守りに入ってばかりではいけない」
「しかし、そう守りに入ってばかりではいけない」

渋谷区の投票率が約40%前後ということからも分かる通り、大多数の人はサイレントマジョリティなんです。課題というものは、守りだけでは解決されません。今までの行政の仕事が守りとするなら、時には攻めに転じることで、解決できることもあると思うんです。

ー区民の大多数であるサイレントマジョリティの「声なき声」を拾うということは、非常に難しいように感じます。長谷部さんはどのようにアプローチされてきたのでしょうか。

短絡的に「アンケートを取ればいい」というわけでもないんですよね。例えば、公園なんてその最たるもので、アンケートの声をすべて反映すると、キャッチボールは禁止、バドミントンも禁止、サッカーも禁止…となってしまう。

けれども、2004年に始めた「渋谷はるのおがわプレーパーク」の取り組みでは、公園の禁止事項を極力なくし、「自分の責任で自由に遊ぶ」というコンセプトを掲げました。その結果、今では多くの人が訪れる公園になりました。そうやって結果が出てくると空気が変わってくるんですよ。

少しずつ結果を積み重ねて、ウェルカムな雰囲気を醸成していくことが、サイレントマジョリティの方々の思いを汲み取るような企画につながりますし、実際そういう取り組みが増えてきたと思います。

コミュニケーションによって課題を解決する

ー区政で実行されてきたことには、広告業界での経験が色濃く反映されているように感じます。改善・改革を行ううえで役立っているのは、どんな考え方でしょうか。

博報堂時代はクライアント、社内の各セクション、外部パートナーとたくさんの人びとが関わっていて、自分よりもはるかに重鎮や先輩方がいる。その中で、マーケターにはこう、プランナーには、ディレクターには…と、ある種うまく「操縦」しながら、前に進めていく。

そういった「勝つための合意形成」という戦術は、確かに役立ったと思います。より良いアウトプットを出すために、押さえるべきポイントを押さえるというのは、政治の世界でも必要なことですから。

優秀な社員だったかどうかは分かりませんが、少なくとも「コミュニケーションによって課題を解決しよう」というマインドセットが刷り込まれているので、自然とそう考えられるんです。それは間違いなく会社で学んだことですね。

東京都渋谷区長 長谷部健

ー区長という立場になって、仕事の進め方は変わってきましたか。

個人的には、あまり変わらないですね。ただ、確かに区長になってからは、自分で手を動かすことは少なくなっています。現在の役割としては、ビジョンを描くリーダーに近いですね。でもありがたいことに、リーダーがこちらを向くと、周りもその思いを咀嚼して、同じ方向を向いてやってくれています。

桑原前区長と僕の決定的な違いは、区政を知っているかどうかにあります。桑原さんは長年行政に携わってきて、隅々までわかっていた。一方、僕はまだまだ知らないことがたくさんある。そのぶん、分からないことはどんどん尋ねるし、職員に対しては「自らが考えて行動してほしい」と伝えています。「こういうことをやりたい」という意見は、進んで後押しするようにしています。

今までの仕事が「1を10にする」仕事だったとしたら、これからは「0から1を生む」仕事を増やしているイメージです。そのほうが圧倒的に難しいんだけど、得るものも大きいんです。

ー長谷部さんのように、まったく経験したことのない業界に飛び込み、活躍するためには何が重要でしょうか。

昔、ローソンを担当していたこともあったので、(創業者で実業家の故)中内功さんの言葉を挙げると「男の人生を満喫するには、二度の結婚、三度の転職」というのがあって、今の時代だと誤解を招きかねませんが、真意は職業観にあるんです。

最初はもともとの経験を生かしながら、ステップアップできる転職をして、その次の転職では、まったく異なる仕事をしなさい、ということ。それによって自分がさらに成長できるというんですね。僕が博報堂を辞めるときには、その言葉が背中を押してくれました。

あと、僕は学生時代にラグビーをしていたのですが、その経験も大いに役立っています。チームマネジメントのうえで、みんなが熱くなっていたら自分は冷静になり、みんなが冷静になっていたら、僕はみんなを熱く鼓舞させる。そういうスタンスは、仕事でも活かされています。

先日亡くなられた平尾誠二さんも兄貴分でしたが、彼の言葉に「どんな難しいパスを受けても、しっかり取ることができれば、試合の局面を変えられるんだ」という言葉がありました。そのパスを取る練習が重要なんですよ。渋谷区のパートナーシップ証明書の発行も、いわば世の中から渋谷区に投げられた「難しいパス」だった。それを真剣に議論し、さまざまな経験をする中で、みんなが乗り越えて変わったことだと思います。

過去の経験は必ず生かされているんですよ。自分の経験したことが、考え方の指針にもなっていく。おそらく起業する人にもあると思うのですが、「ダメになったらその時はその時で、なんとかなるだろう」という根拠のない自信がありました。すべて失うことがあっても、またバイトから始めて、そこで一番になればいい。そんな開き直りもあっていいと思うんです。

それを上回るほどの、期待とワクワク感があれば。

東京都渋谷区長 長谷部健

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[取材・文] 大矢幸世、岡徳之

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