人に依存して生きるという豊かさ。「多拠点居住」がもたらす幸せとこれから働く意味

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どこかに「定住」するのでなく、またどこかに「移住」するのでもなく、同時に複数の拠点をもち、その時々で移り住む。そんな「多拠点居住」を始める人が増えています。身近にそんな知り合いはいないという人でも、メディアなどを通じてそうした言葉を耳にする機会は増えているのではないでしょうか。

今回お話を伺う近藤ナオさんも、多拠点生活を実践しているひとりです。普段は軽トラの荷台を改造して作った「モバイルハウス」に寝泊まりし、東京福岡南伊豆、さらにはオランダの拠点を移動しながら生活しています。また、そうした多拠点居住を多くの人が実践できるための仕組みづくりも進めています。

「Cift」渋谷・松濤ハウス

「毎日都心で働く自分には関係のない話だ」と思う人が多いかもしれません。けれども、ナオさんが現在の活動を始めた背景にはまさにそうした大企業で働く30、40代のビジネスパーソンへの問いかけがあるのだそう。

ナオさん自身、かつては都会での暮らしにどっぷりと浸かり、多くのお金を稼ぎ、誰にも依存せずに生きていける力を持とうと奮闘していました。しかし、いつのころからかその先にある未来に疑問を感じるようになったことが、今のモバイルハウスでの生活につながっています。

モバイルハウスにはお風呂や炊事場がないため、それ単体では生きていくことができません。ナオさんは国内外さまざまなコミュニティで仲間の力を借りて、生きているのです。この「依存せずには生きられない」ことにこそ価値があるとナオさんは言います。

多拠点居住は私たちに何をもたらすのでしょうか。ナオさんが共同生活をするコミュニティのひとつ、「Cift」の渋谷・松濤ハウスを訪ねました。

株式会社アソボット 取締役 近藤ナオ

PROFILE

株式会社アソボット 取締役 近藤ナオ
近藤ナオ
株式会社アソボット 取締役
デザインコンサルタント。『まちの保育園』『えがおつなげて』『シブヤ大学』『週末アドベンチャートリップ』など地域活性化プロジェクトの立ち上げに参画。現在は関東、九州、オランダを起点に誰もが釈然として生きていける世界づくりを実施中。家は渋谷、南伊豆、名古屋、福岡、アムステルダム、モバイルハウス。

20代で起業し成功するも、消えない違和感

―どうして多拠点居住の今の生活を始めることに?

ぼくのキャリアは建築系の大学に在籍していた20歳の時に友人と設計事務所を起業するところから始まりました。実際にやり始めたら意外と食えてしまったので、卒業を迎えても就職活動をせずにそのまま社会に出ることに。その後、設計よりももう少しプロデューサー寄りの仕事がしたいと思って2つめの会社を起業、20代半ばにして上野駅前に六本木ヒルズのような複合施設を建てるという数百億円規模の仕事をまかされるようになりました。

けれどもそのころにはそうした仕事の意義に疑問を抱くようになっていました。そもそも上野の駅前に六本木ヒルズのような建物は合わないし、自分が食べているものや使っているエネルギーがどこから来ているかも分からないような暮らしは違うだろう、そんな状態のまま、まちづくりや建築に関わっていてはダメなのではないかと思った。それで26歳の時に思い切って新しい建物を作る仕事はすべて辞めることにしたんです。

シブヤ大学
シブヤ大学

山梨の山奥にある人口50人くらいの集落で友人が立ち上げたNPO法人に合流し、農業や自然エネルギー、空き家の利活用などを通じて地域課題を解決する活動を始めました。一方で、渋谷では建物を作らないまちづくりに関わりたいと思い、渋谷の街全体を大学に見立てて学びを通して人のつながりをつくるシブヤ大学というNPO法人を立ち上げた。それに伴って家族3人で週の半分は山梨、もう半分は渋谷に住むという2拠点生活が始まりました。

さらにこうした活動を続けていたら全国から「うちの地域でもやってくれ」と声をかけてもらえるようになり、日本中を回って生活するようになっていきました。当時はまだ各地に家があるわけではなく友達の家やホテルに泊まっていたのですが、シブヤ大学の立ち上げから数えるともう10年以上も全国を転々とする生活を続けていることになります。

山梨にて
山梨にて

ただ、そうした活動は間違いなく意義深いと思ってはいたものの、2、3年前くらいから再び違和感が頭をもたげ始めたんです。

―というと?

当たり前の話ではあるのですが、地域の課題解決をするのにも必ずお金の話がついて回ります。お金が回らなければ自分が抜けた後に持続的に活動していけないし、組織が大きくなればみんなが食うためにお金を稼がないと、という話になる。その延長上で考えて、本当に理想的な未来がつくれるのだろうかということに疑問を感じ始めたんです。

当時はまだそこまで言語化できていたわけではなかったですが、今振り返ればぼくの問題意識は父性的な価値観への疑念ということになる気がします。

―父性的な価値観?

自分の能力を高めて「できること」を増やし、がむしゃらに稼いで安心を得るというのがぼくの言う父性的な考え方。その意味で言えば当時のぼくらがやっていた地域課題解決の活動もまた父性的考え方の範疇にありました。でも、力を使って世の中を良くしていこうとして、どこかでその力の使い方を誤ると争いごとが起こる。今の世の中に争いごとが絶えないというのは父性的な力に頼っているからではないかというのが、さまざまな経験を通じてぼくが感じていたことでした。父性=力だとするとそうではないもの、母性的な考え方をもっと大切にしたほうがいいんじゃないかということをぼんやりと考えるようになっていきました。

株式会社アソボット 取締役 近藤ナオ

そんなタイミングで出会ったのがCiftだったんです。彼が言っていたのは、今の世の中は個人主義が行きすぎていて、ひとつの家族の中でさえお父さんと娘が別々の生活をしているみたいになっている。個人で生きるのはいろいろなことを気にせずに済むぶん確かに楽だけれど、なにかあった時にはめちゃめちゃ脆い。そういうことに対する不安が今どんどん大きくなってきているのではないか、と。

そうした問題意識から、彼らは「赤の他人同士が本当の家族のような存在として関係を持ち合うコミュニティを作りたい」と言い出しました。ぼくもそれはおもしろそうだと思い、実際にやってみようということになった。それがこのCiftというコミュニティです。それから半年かけて東急電鉄を口説き、渋谷キャストのワンフロアを借り切って40人の共同生活という実験を始めました。だからぼくらはお互いのことを「拡張家族」と呼んでいるんです。

Cift
Cift

もうすぐ始めて2年になりますが、徐々に人も増えて渋谷キャストの1つ目の家が満室になったので、現在は鎌倉とこの松濤にも家を借りて3つの家でやっています。メンバーの多くはそれぞれ自分の家を持ちつつ、この3つのいずれかにも家賃を払って所属しているので、2拠点以上の生活をしていることになります。ぼくの場合はさらに福岡・天神の「Qross」と静岡・南伊豆の「giFt」という同じようなコミュニティにも所属していて、現在は縁あってオランダにも新しいコミュニティをつくろうとしているところです。

Cift

―それでいて普段は軽トラを改造したモバイルハウスに寝泊まりしているんですよね?

リアルな家族はそれまで住んでいた家を昨年の4月に売却し、シェアハウスに籍を置きつつ、このモバイルハウスに引っ越しました。見てもらえば分かると思いますが、このモバイルハウスには寝るスペースと電気しかありません。水が使えないからお風呂に入ったりご飯を作ったりという普通の生活ができないんです。

株式会社アソボット 取締役 近藤ナオ

じゃあどうやって生活しているのかというと、ぼくらは「モバイルハウスコア」と呼んでいるのですが、各地の駐車場のあるシェアハウスなどに車を停めさせてもらって、普段はそういうシェアハウスでご飯を食べたりお風呂にも入ったりしています。通常であればその後寝る時にはシェアハウス内にある寝室に行くわけですが、その代わりに駐車場の部屋に行って寝るイメージです。だから「車に寝泊まりする」と聞いて多くの人が思い浮かべるほどヘビーな生活ではないんですよ。

この考え方がおもしろいのは、コミュニティに接続しないと生きられないということです。よくキャンピングカーみたいなものかと聞かれるけれども、考え方としては真逆。キャンピングカーというのはほかには誰もいない絶景の場所に停めて「この景色は俺だけのものだ!」という発想でしょう。それができるのは誰にも依存しない強大な力を持っているから。だからとても父性的な考え方と言えます。

さっきも言ったように、そういう「依存しないで生きていけるのがかっこいい」みたいな考え方はとても危険だというのがぼくの考え。モバイルハウスでの生活はその逆で、ひとりでは生きられない。この「人に依存して生きていく」というのが本当に大切な価値観だとぼくは思っているんです。

そうやって本当に必要なものだけを軽トラに乗せて、今週は東京、来週は京都、その次は伊豆というようにさまざまなコミュニティに接続する暮らし方をしています。その中で感じるのは、そうしたコミュニティにはお金よりも日常をどう豊かに生きるかに価値を置いている人が多いということ。そして本当に豊かな日常を生きるにはやはりひとりでは難しいということです。

今は依存しないで生きていく方向で頑張っている人が多く、そうしたコミュニティをひとつも持たない人が増えている印象です。だからまずはそういうコミュニティを一個持っていることが大事。でも、とはいえ集団で暮らしているとどんなに仲のいい人たちの間でもやはり気遣いの必要は出てくるし、ぶっちゃけ「今日はここには帰りたくない」と思う日もあるのが現実です。そんな時に逃げ場としての2つめのコミュニティがあるというのがメンタル的に非常に安全なのではないか。こんなことを考えて、みんながそういう状況になれるようにと、今は各地に淡々とコミュニティを増やしているんです。

福岡・天神「Qross」
福岡・天神「Qross」

作りたいのは、安全安心な実家のような場所

―それが大企業で働く人の懸念とどうつながるのか、もう少し詳しく教えてください。

Ciftにはルールがありません。日本に住んでいる限りは日本で刑事事件になるようなことはもちろんやらないけれど、それ以外にはルールは作らないようにしています。お互いのエチケットとかモラルとかだけで特別なルールなんてなくても成立するのが家族だから。その代わりにぼくらは対話をすごく大事にしています。なにかを変えたい、こういう暮らしにしたいという意見が出た際には全員が納得するまでとことん話し合うんです。

重要なのは多数決さえしないこと。多数決というのは実はとても権力的な意思決定の仕方です。大多数が賛成だったとしても、反対していた2、3人には必ずわだかまりが残ります。だから全員が納得するまで話し合うというのがぼくらのやり方で、ひとりでも納得できないと言っている以上はその意見はそのまま据え置きます。

まったく関係のない話に聞こえるかもしれないですが、企業組織にも今似たような流れが来ているのではないでしょうか。ピラミッド型で上の人の言うことを信じて従ってさえいれば良かったのが権力的な従来の組織の形でしたが、流行り言葉でいえばそれが「ティール組織」のようなアメーバ型へと変化してきている。こうした新しいやり方は現状、比較的小さな組織で取り入れられているにすぎませんが、ぼくの感覚ではこの2、3年で大企業や行政などの公的な組織にも広がると見ています。

なぜかというと、こうしたアメーバ型の組織では誰も嘘をつけないしズルができない。権力者がある日突然、自分の都合のいいように情報開示をやめたりということもできない。だからみんなが気持ちよく働けるし、心地がいい。結果として離職率も下がるし生産性も上がるということになる気がします。テクノロジーがそういう仕組みをどんどん作りやすくしていることもこの流れを後押しするでしょう。

けれども実際にそうなった時にぼくがひとつ懸念しているのが、30、40代の大企業でバリバリ働いている人たちこそが困った状況に陥ってしまうのではないかということです。50オーバーの人たちは今のままでもギリギリ逃げ切れるかもしれないけれど、30、40代の人たちはどうしたって新しい組織への対応を迫られますよね。でも、ある程度成功体験があって、自分は従来の組織の中でそこそこ上にいたという意識のある人ほど、それが難しいのではないかと思うんです。

株式会社アソボット 取締役 近藤ナオ

こうした新しい組織では、組織に属する一人ひとりがそれぞれに主張しながらうまくチームが作られていきます。そこには従来の組織にあったような明確な指示系統はなく、以前であれば下のほうにいた人がリーダー的な立場になることもある。そうした新しいやり方を肌感として理解できない人は、ひょっとしたら組織の中で一気に取り残されるかもしれない。従来型の組織でそこそこの位置にいた人は、それまでとの落差が大きいぶん、結構な憎悪を生むのではないかと懸念しています。

ぼくとしては、そうなった時のための受け皿になれる場所を今のうちに作っておきたい。それがぼくが取り組んでいる「コミュニティをつくる」ということです。だから、ぼくは別にCiftのように共同生活することで「こんなに楽しいことができる!」と主張したいわけじゃない。そうではなく、実家のような場所を作りたいと思ってやっているんです。

―実家、ですか。

株式会社アソボット 取締役 近藤ナオ

実家ってアポなしで突然帰っても泊めてくれるし飯を食わせてくれるじゃないですか。だから安心して休養できる。この「なにをやっても、どんな失敗をしても大丈夫」という感覚が大事なのではないかと思うんです。そういう場所を持たないことが、人々に不安を生み、その結果自己実現のために挑戦することができずに、「みんながやっているから」とか「確実に稼げそうだから」という理由で自分のやることを決めてしまうのではないかと。

―なるほど、それが「人生のオーナーシップを自分以外のなにかに握られている」状態というわけですね。

逆にいえば、そういう安全安心なところさえあれば人は勝手に自己実現のために生きていくものだというのがぼくの考えです。マイナスになった心で帰ってきても、無条件に泊まれてご飯を食べられて愛を与えられる、そういう実家のような場所さえ作れれば、そこから先はあまり心配する必要はないと思っているんです。

なおかつこういうコミュニティが本当の実家以上におもしろいのは、いろいろな人が出入りすることにあります。本当の実家はなにかあった時にそこで休むことでゼロまで戻すことはできるけれども、その先にどうしたらいいかまでは分かりづらい。その点、こうしたコミュニティにはいろいろな人との出会いがあるので、そこからヒントを見つけたり、影響を受けてやる気が湧いたりということが起こる。それが実家を出てもう一度チャレンジする力につながるのではないかということです。

Ciftの仲間と
Ciftの仲間と

だから、今は家と職場を行ったり来たりして生活している人も、月に1万円とか2万円とかを払ってそういうもうひとつの心安らぐコミュニティに所属することが救いになるのではないか。ぼくは「多拠点多所属生活」という言い方をしているんですが、ただ拠点をたくさん持っていることが大事なのではなく、複数のものに所属することでいざという時の逃げ場を持っておくことが重要だと考えています。

―仮に働く人の現状が「人生のオーナーシップを自分以外のものに握られている」状態だとすると、その依存状態を脱するために「もっと力をつける」という父性的な考え方では争いはいつまでたっても絶えないし、なかなか心の平穏は訪れない。「依存しない」のではなく「複数に依存する」ことが結果的に人を生きやすくするということですね。

「働くこと」はいずれ「死ぬまでの暇つぶし」になる

―とはいえ、ぼくの知る限りではCiftは自分でいくらでも仕事を作れるレベルの優秀なクリエイターの集まりという印象です。本当にそんな弱った人を支えられるのでしょうか?

確かに始まった当初はそういう人だけだったのですが、Ciftもすでに第2フェーズに入っています。このあいだも「自営業をして2人の子供を養っているけれども、この先どうしたらいいか分からない。そんなにいい仕組みがあるなら詳しく知りたいから入れてくれ」という45歳の男性が新しく入ってきたところです。けれどもおっしゃるように、本当にそういう人たちを支え切れるのかはまだ分からないというのが本音。というのも、Ciftはまだ実験中なので。

ただ、実験を続けるうちにいろいろと分かってきたこともあります。例えば共用部の清掃などは住人がやるとうまくいかない。「みんなでやろう」と言っていても結局誰もやらなかったり、クオリティの話で揉めたりするんです。なので今はみんなから徴収した管理費で人を雇ってやってもらう形に変えました。これは言ってしまえば税金で行政がやるのと同じ仕組み。「ああ、なるほど行政というのにはこういう意味があったんだ」と再認識させられた次第です。なにを今さらと思うかもしれないですが、そうやって自分たちにとって本当に必要なものはなんなのかを改めて考えるプロセスは必要だと思っています。

「Cift」渋谷・松濤ハウス
「Cift」渋谷・松濤ハウス

個人的に大きな発見だったのは、いくつもコミュニティに所属している中でも南伊豆がひときわ落ち着くということです。なぜそうなのかと考えていくうちに、やはりお金の心配が少ないことがもたらすものの大きさを実感しました。福岡も渋谷もそれぞれに良さがあるけれど、家賃ひとつとっても結構お金がかかる。その点、南伊豆は家賃がめちゃくちゃ安いし、あったかくて海も山もあるから食料にも困らない。最低限の生活コストがかからないのはやはり大きいと感じます。

そこで、ぼくが参加している別のあるプロジェクトでは、日本のひとつの島を丸ごと買ってしまって、そこに人を受け入れる計画を進めています。ぼくらが土地を買ってしまえば、移住してくる人は一切家賃がかからないことになる。それに加えて最低限の食べるものとエネルギー、福祉の仕組みを提供できれば、傷ついた人が英気を養える、本当に安心安全な実家が実現するのではないか、と。

―そうやってある種ベーシックインカム的な世界が実現すると、「働く」はどうなっていきますか?

よく言われる話ですが、「食うために働く」というのはなくなるのではないでしょうか。繰り返しになりますが、安心安全な場所さえあれば、あとは放っておいてもそれぞれが自分のやりたいことを勝手にやっていくというのがぼくの考えです。だから一人ひとりが自分が心からやりたいと思うことだけをやる。だけど大きなことをやるにはひとりではできないから、自然と仲間を集めるためにはどうするかという発想になる。そういう意味で、自分のやりたいことを仕事としてやっていくという形は残ると思います。

こう言うと、誰もがやりたいことを内側に持っていなければならないように聞こえるかもしれないですが、ぼくはその必要はないとも思っています。必ずしも自分が言い出しっぺである必要はなく、本気で共感する誰かについていくというフォロワー的な生き方だってあっていい。誰もがリーダーになるというのはちょっと理想論すぎるでしょう。

こういう未来の「働き方」をぼくはよく「死ぬまでの暇つぶし」と表現するのですが、それぞれが自分に違和感なくできる範囲で、つまらないな、さみしいなと思わないで生きていける何かを見つけることさえできれば、それでいいのではないかと思うんです。

-現状は組織なり社会なりからの要請により、ある程度強制力が働く中で頑張ることにやりがいや成長を感じるという人も多そうです。まったく自由にやりたいことをやっていいとなった時、それでも人は生産的な活動をするのでしょうか?

さっきの「フォロワーでもいい」と言ったのはその質問に対する答えに近い気がします。そうやって誰かの期待に応えるのが気持ちいいと思う人はそれでいいのではないか、と。ぼく自身も今でもそういう形で徹夜して仕事したりすることがありますし、そういう高揚感があるのも分かります。

とはいえ、心のどこかに「このまま生きていて本当にいいのかなあ」という不安を抱えている人も結構いるのでは。ぼくは少なくとも、そういう不安をある種利用するようにして人を動かす世の中にはなってほしくないと思う。それはワーカーだけじゃなく、子育てをしているママさんとかにも言えることだと思いますが。

株式会社アソボット 取締役 近藤ナオ

以前は相対的に力が強くなればその不安が消えるかも、というのが多くの人の考えだったでしょう。先ほども少し触れましたが、ぼく自身もそう考えるひとりでした。でも、どれだけ大きな仕事ができるようになっても一向にその不安は消えなかった。だから、豊かになるにはもしかしたらそれとは違う方向で考える必要があるんじゃないか、そのように仮説を立てて大胆にフォーカスを変えたのが2年前というわけです。

でも、かといってめちゃめちゃ使命感を持ってやってるかというと、そういうことでもないんです。「死ぬまでの暇つぶし」としてやるのになにが楽しいかと考えたら、まだ誰もやっていないような難しいことのほうがいいだろう、と。今はなんとなくそれが実現できそうな気がしているので、それを趣味としてやっているという感じです。無責任に聞こえるかもしれないですが、案外それくらい肩の力を抜いてやったほうが仕事ってうまくいくものなんじゃないでしょうか。

株式会社アソボット 取締役 近藤ナオ

[取材・文] 鈴木陸夫、岡徳之 [撮影] 伊藤圭

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