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失敗を将来の財産にする仕事の選び方

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“未来を変える”プロジェクトでは、記事の制作段階でさまざまな方と議論し、フィードバックをいただきながら制作しています。今回はハイキャリアを築いてきたビジネスパーソンの方に「仕事の選び方」について、もし20代の自分にどのようなアドバイスをするのか、を聞きました。さまざまな上場企業で事業を牽引されていた柴田実さんの寄稿記事になります。

PROFILE

柴田実
柴田実
(インテリジェンス i-common登録)
昭和53年東京大学法学部卒業。コマツ、東京エレクトロン、ユニデン、リゾート企業、ヴィクトリア、日本色材工業研究所など、機械メーカー、電気メーカー、化粧品メーカー、リゾート産業、小売業で人事部長、総務部長、事業開発部長、管理本部長、役員を歴任。その知識、経験を買われて厚生労働省の「女性の活躍推進協議会」の委員に就任。現在株式会社ヒューマンフォワード代表取締役として人事給与制度の立案実施、女性活躍推進計画立案実施、労働安全衛生体制整備等人事関連業務のコンサル、企業向け営業支援等の業務に従事。i-commonサービスも活用し企業の顧問としても活躍中

挑戦こそ若さの特権

仕事を選ぶ条件は人さまざまとは思いますが、私は「仕事の幅が拡がること」を条件に挙げたいと思います。これは、いままでやってきたこととは異なることに挑戦していく、という意味です。

管理部門にいた人が営業の仕事に挑戦するでもいいでしょうし、いままでスタッフだった人がマネジャー業務に挑戦するでもいいと思います。またまったく違った業界で自分の力を試したい、でも構わないと思います。

いままでの経験を活かせる仕事につきたい、といっていままでとまったく同じような仕事を探している人が若い人でもよくいますが、それでは転職というせっかくのキャリア形成の機会をみすみす失うことになると思います。なぜなら、それでは単に会社が変わったというだけにしかすぎないからです。

特に20代、30代はまだまだ若く、たとえ失敗してもいくらでも取返しができますし、また一見失敗に見えるようなことでも次のキャリア形成の糧としていくことができます。失敗したこと自体が自分の財産になっていくのです。挑戦は若さの特権ですから、勇気をもってチャレンジしていただきたいと思います。

一つの企業で勤め上げることは立派なのか

私は仕事をしていく上で大事なこと、自分の力となるものは、どこの会社に勤めているかでも肩書がなにかでもなく、結局最後の最後は自分の個人の力だと考えています。

いくら大企業に勤務していても、会社の名前を頼りに仕事をしてきた人は、会社を離れればいかに個人が無力かを思い知ると思います。同じ会社にいる場合でも、役職定年などで肩書がなくなればただの人です。肩書で仕事をしてきた人がいざ高年齢になって次の仕事を見つけようと思っても、自分が果たして何ができるかを棚卸しすると淋しい結果になるでしょう。

しかし、その人が経験してきたことはその人から取り去ることはできません。その経験が幅広く、深いものであればあるほど、その人の価値は高まると思います。

先日大手自動車メーカーの専務に会った際、その方が「わが社は世界的な大企業だが、当社でずっと働いてきた人間で定年後も社外で通用する人間はほんの一握りしかいないだろう」と話されていました。

これはもちろん謙遜とは思いますが、一面では真実でもあると思います。一つの企業で勤め上げることはもちろん立派なことですが、一つの文化の中で育ってきた人が高齢になって外に出たときどれほどギャップを感じられるか、想像に難くありません。

20代、30代では自ら異なる分野に挑戦し、幅広い経験を積んで大きく成長していっていただきたいと思います。それには、自分に自信を持つこと、勇気を持つことがとても大切だと思います。

複数の企業でのキャリア形成

私は今まで上場企業を中心に7つの会社を経験してきました。現在自分で経営している会社を入れれば8社になります。私の高校、大学の友人の中でこれほど転職を経験した人間は私だけです。今から40年近く前に社会人になった者としては珍しい部類に入ると思います。

大学を卒業して初めて入社した会社は日本最大の建設機械メーカーでした。川崎の工場に配属され労務担当のスタッフとなりました。そこで給与計算、社会保険といった人事の基礎から学び、全社の賃金改訂プロジェクトのチームにも選ばれるなど充実した工場生活を送ったあと、4年後に本社の人事部教育課に異動しました。人事部は本社の中枢でありエリート部門で経営とも近く、初めは意気軒高と働いておりましたが、そのうちに自分自身いろいろ考えるようになりました。会社は、歴史ある重厚長大産業で人事部門も多くの人がおり、自分の果たす役割はほんの一部にすぎません。

人事部に移って4年も過ぎる頃になりますと、仕事にも慣れ、新入社員教育や階層別教育の企画・立案・実施など毎年同じような仕事でマンネリを感じるようになりました。そんなときに、第2のソニーと言われ、当時急成長していた半導体製造装置のメーカーから誘われたのです。

ちょうど30歳になったばかりの頃でした。その会社は急激に大きくなったために中途採用の人間が大半をしめ、人事制度、賃金制度の確立が急務でしたが、人事部門は寄せ集めでそれをできる人間がいないのでぜひ来てほしいとのことでした。私としては結婚もし子供も生まれたばかりでしたので、今までの安定した会社に残るか、仕事のやりがいを求めて挑戦するかの岐路に立たされましたが、人事部長による連日の説得を振り切って転職することを決意したのです。新しい会社では採用のチームリーダーとして初めて部下6人をいただき、その後人事の課長代理と次々と役職もいただき、懸案であった人事制度、賃金制度の改訂も私一人で独力で成し遂げ、管理部門担当の常務から絶賛をいただきました。

最後に

経理、総務、法務、営業、新規事業開発と転職のたびに仕事の幅を広げるとともに、仕事も海外へと広がり、海外での仕事を通して英語も磨いてきました。何にもましてこれまで知り合った多くの方々との人脈それ自体がいまの仕事に活きる大きな財産であると感じています。これもすべて、転職のたびに新たな分野で活躍してみたいという思いで動いてきた結果であると思います。

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