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「あきらめる勇気」は、人生にとってとても大事。では、いつ、どうやってあきらめる?

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『“未来を変える” プロジェクト』では、記事の制作段階でさまざまな方と議論し、フィードバックをいただきながら制作しています。今回は月間150万PVを超える「仕事・マネジメント」をテーマにした人気ブログ「Books&Apps」を運営する安達裕哉さんに、「あきらめること」について寄稿していただきました。

PROFILE

ティネクト株式会社 代表取締役 安達裕哉
安達裕哉
ティネクト株式会社 代表取締役
1975年、東京都生まれ。Deloitteにて12年間コンサルティングに従事。大企業、中小企業あわせて1000社以上に訪問し、8000人以上のビジネスパーソンとともに仕事をする。現在はコンサルティング活動を行う傍らで、仕事、マネジメントに関するメディア『Books&Apps』を運営し、月間PV数は150万を超える

「信じて続ければかならず夢は叶う」、甘美な言葉である。

だが、現実にはそんなに甘い話ではない。信じて続けてもプロサッカー選手の、しかも一流になれる可能性はほとんどの人には存在しないし、起業してうまくいく人は全体のうちのごくわずか。金持ちになれる人はさらに少ない。

要するに、信じて続けることは必要条件であって、十分条件ではない。従って、正確には「信じて続けることは、夢を叶えるために必須の条件である」と言わなくてはならない。

さて、ここで一度立ち止まって考えなければならないことがある。「夢を叶えるための努力って、いつまで信じて続けていいの?」という疑問だ。

もっと平たく言えば、「あきらめるタイミングはいつだ?」という話である。

もちろん「あきらめなければならない」ということそのものは、誰が強制する話でもない。あきらめるかどうかの決定権は本人にある。だが、「あきらめる」という意思決定は、続けるという意思決定と同じくとても重要である。

「パラサイト・シングル」や「婚活」という言葉を生み出したことでも知られる社会学者の山田昌弘氏は、著書*1のなかで、次のように述べている。

「現在、学校は肥大化して、入学者を職業の需要以上に受け入れる。その結果、その職に就く確率が低くなる。となると、青少年はいつの時点で、その職に就くことをあきらめるべきかわからなくなる。その上、世間では『自分のやりたいことを仕事にすべき』『ただのサラリーマンや主婦はつまらない』といった「言説」が溢れている。

人生は無限ではない。歳だけは確実に取っていく。自分の思い通りの職に就けるかもしれないという期待だけもたせて、あきらめることを先送りにしているのが現状である。簡単に入れる大学院から、各種学校、資格の取得を目的とした通信教育、お手軽にできる海外の語学留学など、あきらめを先送りする装置には事欠かない」

*1 『希望格差社会』(ちくま文庫)

現在、世の中にはあきらめることができないがゆえに、苦しんでいる人びとが数多くいる。「あきらめずに頑張れ」と声をかける方もいるが、あきらめを先送りしているということはすなわち、可能性について考えることを先送りしている、ということでもある。物事は無条件に続ければ良い、というものでもないのだ。

これは、企業でもまったく同じことが言える。と言うか、企業はもっとドライである。「企業戦略」が必要だからだ。企業戦略とは、選択と集中のこと。裏を返せば、何をあきらめるのか、ということとまったく等しい。

例えば、Googleのような巨大企業でさえ、「できないこと」はいくらでもある。Googleは毎年毎年、相当な数のサービスを「あきらめて」終了している。「Google Reader」も「iGoogle」も、膨大な数の利用者が存在したにも関わらず、彼らは撤退を選んだ。

何かをあきらめたからこそ、新しいことができる。失敗にしがみついて「いつか叶う」とあきらめないことは、立派なことでもなんでもない。そのような経営者は、顧客と株主、従業員のいずれからの支持も失い、近いうちに更迭されてしまう運命だ。

————

では、「あきらめる基準・タイミング」はあるのだろうか。これについて、ピーター・ドラッカーは著書*2のなかで、次のように述べている。

「自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、『まだ行っていなかったとして、今これに手を付けるか』を問わなければならない。答えが無条件にイエスでないかぎり、止めるか、大幅に縮小すべきである」

*2 『経営者の条件』(ダイヤモンド社)

文中にある、「まだ行っていなかったとして、今これに手を付けるか」は、非常に重要な基準である。

例えば、司法試験の合格を狙う受験生、音楽活動で食べていきたいというフリーター、コピーライターになりたいという就職浪人生、腕一本で食べていきたいというフリーライターやブロガー、金持ちになりたいと脱サラした起業家・・・。

彼らはすべて、定期的にこの問いを自らに問うべきである。人はサンクコストを過大に評価しがちであるが、過去はもう取り戻せない。新しい機会に自分の目を向けるほうが、はるかに生産的であるのは、間違いない。

一昔前、あるIT受託開発会社が、一旗揚げようと「パッケージソフト」を開発した。士業の方々のマーケティングを支援するという触れ込みのソフトだ。

要件定義には実際に士業の方々に参画してもらい、機能的には申し分なく、皆大きな期待を抱いていた。知り合いを通じて何名かの士業の方にあたり、最初の5社ほどは立て続けに導入が決まった。

「いよいよ天下を取れる」と経営者が確信を強めたとき、急にお客さんの数が伸びなくなった。知り合いはなんとか買ってくれるのだが、面識のない方々には一切売れなかった。

だが、最初に調子よくに売れていたことで、経営者は強気になっていた。「モノは良いのだから、絶対に売れるはず」と、さらに営業活動と、広告に力を入れ、社内のSEを何人もパッケージソフトの機能強化に充てた。

だが、パッケージソフトは売れなかった。結果、この会社は3年間この事業に資源を投じたが、大変な赤字を出し経営者はようやく正気に戻った。

「あのときに戻ったとして、パッケージソフトに手を出しますか?」と彼に聞くと、「ひどい赤字を出したし、社員も大勢辞めた。もう二度と、パッケージソフトには手を出さない」と経営者は言った。

繰り返すが、「あきらめる」ことは、恥でも何でもない。むしろ漫然と報われない努力を続けるよりも、はるかに勇気と思慮のいる行為である。

変に見栄をはらず、皆、勇気をもって「あきらめて」欲しいと願う。

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