「できません」「わかりません」と会社で言うなと教えられたが、本当はどうなのだろうか

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今回は月間150万PVを超える「仕事・マネジメント」をテーマにした人気ブログ「Books&Apps」を運営する安達裕哉さんに、会社で「できません」「わかりません」と言うことについて寄稿していただきました。

PROFILE

ティネクト株式会社 代表取締役 安達裕哉
安達裕哉
ティネクト株式会社 代表取締役
1975年、東京都生まれ。Deloitteにて12年間コンサルティングに従事。大企業、中小企業あわせて1000社以上に訪問し、8000人以上のビジネスパーソンとともに仕事をする。現在はコンサルティング活動を行う傍らで、仕事、マネジメントに関するメディア『Books&Apps』を運営し、月間PV数は150万を超える。

私は前職で上司から、「できません」「わかりません」と会社で言うな、と教えられた。

正確に言えば「組織の理念」に、この項目が入っており、絶対遵守するように言われたのだ。

理由は、「できない」「わからない」と言うと、思考が停止してそこから前進できないからというものだった。まずは「どうやったらできるようになるのか?」「やれるようになるのか?」を考えよ、チャレンジせよと言われたのだ。

この話をさまざまな会社でしたところ、「思い当たる」という話が思ったよりもかなり多かった。「わからない、ということは恥だ」「出来ない、というのは出来ないと思うから出来ないのだ」、そんな事を言われた人もいた。

だが、これはかつて大学で先輩に言われたことと矛盾した。

先輩は課題を与えたとき、「できないときはできないと言いなさい。そうしないと助けられない」「わからないときは、わからないと言いなさい。そうしないときちんと説明できない」と言った。

また、先輩はこうも言った。「実験のやり方や研究の手法がわからなかったら、まずは人に『わからないので教えて下さい』と丁寧に聞きなさい。自分であれこれ悩むことほど

時間の無駄はない。少なくとも、どんな文献を当たればよいかはかならず教えてもらえる」と言った。

そして、その言葉の通り、私は事あるごとに先輩に相談し、ときに実験データをもらい、ときに文献の在りかを教えてもらい、ときに答えをもらった。

一方では、「できない」「わからない」と言ってはならず、もう一方では言わないといけない。この違いは何だろうか。少し検証してみる。

一つの仮説は、上司から与えられた課題はとても「簡単である」というものだ。会社は普通の人でも仕事ができるように設計されているのだから、「できないこと」などあろうはずもないと当時の上司は言いたかったのだろうか。だが、おそらくこれは偏見である。かつての上司は「与えた仕事は簡単だ」とは思っていなかったはずだ。

では、二つめの仮説だ。会社では「給料をもらっている」から「できません」は甘えだというもの。たしかに筋は通っている。だが、「給料を払っているのだから、与えられたことに対しては自分でなんとかしろ」という丸投げが正しいのかといえば、これはまた微妙だ。上司のどんな指示に対しても「はい、わかりました。」と言わなければならないとしたら、管理職は何をするのだろう。命令するだけであれば、楽な仕事だ。

そして三つめの仮説。それは、「考えるのが苦手な人に考えさせたい」という上司のはからいではないかというものだ。これは「新人の育成」や「強化」「訓練」という観点からは好ましいかもしれない。あるいは逆に、「考えないやつには教えない」という懲罰的なものを含んでいるのかもしれないと邪推もできるだろう。

だが、「考えるのが苦手な人」に「考えろ」とどれだけいったところで、出てくるアウトプットに大して期待はできない。また、「できません」という人にどれだけ言っても同様だろう。現実的には「できません」「わかりません」を禁止しても、単に仕事が遅れるだけで、大して成果も出ないというのが関の山ではないだろうか。

こうして突き詰めて考えていくと、「わかりません」「できません」と言ってはいけないという状態を、当然のこととはできない。

例えば、こんな状況を想像してほしい。原因不明の病気で医者にかかったとする。医者はさまざまな検査をしたが、「わかりません」と絶対に言ってはいけないので「わからないけど、適当に診断しておこう」という意思決定をしたとする。あなたはこの医者を信用できるだろうか?

むしろ、わからないものはわからないと正直に言い、わかる人に渡すのが真っ当ではないだろうか。できる人にやってもらうのが正しいのではないだろうか。したがって、「わからない」「できない」と言わない人は、むしろ大丈夫なのかと普通に考えてしまうわけである。

この話を知人にしたところ、「わかりません」「できません」と上司が言わせない会社って、本当は「わかる」「できる」のに、この人間は手抜きをしているのではないかという疑いがあるんじゃないかという答えが返ってきた。なるほど、そうかもしれない。

「人間は弱く、常にサボろうとしている」という人間観の会社であれば、たしかに「わかりません」「できません」という人に対して、「わからないとか言うな(サボっているだけだろ)」と言うかもしれない。軍隊のような会社では、上司の命令に対しての返事は二つしかない。「YES」か「はい」のどちらかなのだ。

逆に、「人間は自分で考え、進んではたらこうとしている」という人間観の会社であれば、「わかりません」「できません」という答えは「助力を求めている(まずい状態だ)」と受け取るだろう。そこには、かなり大きな溝がある。

知人は言った。「でも、考えてみれば『わからない』『できない』って言えないと、かなり深刻な状態になるまで放置されるってことでしょう? オレのチームでそれはマズいな。できないなら『早めにできない』って言ってもらわないと、手が打てないから。まあ、オレがすべての人の進捗をめちゃめちゃ監視していれば別だけど、そんな暇じゃないしな」。

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ご存じの方も多いと思うが、ダグラス・マグレガーは「人間ははたらきたくない生き物なのだから統制せよ」というX理論と、「人間はもともとはたらき者だ。良心を信じよ」というY理論を提唱した。今ではそのどちらも限界がある、と知られている。統制も、放任も駄目なのだ。

では、マネジャーはどのように言うべきだろう。私が知る、あるマネジャーは、「考えさせつつ、できないときにすぐに報告させるためには、上司と部下の間でいくつかのルールが必要」と言った。彼が行っていたのは、「わからないときのステップ」の明確化だ。

  1. わからなかったら ⇒ 自社の過去プロジェクトのデータベースから過去事例を探そう
  2. 事例になかったら ⇒ 社内掲示板で質問しよう
  3. 社内掲示板で回答がなかったら ⇒ 先輩に聞こう

というステップを明確に記述している。もちろんこれだけで一気に「考えない人が考えるようになった」とは言えないとのことだが、少なくとも何かしら調べた後に聞きに来るようになったという。

人を統制せず、信じすぎず、適切なマネジメントをするためには、何らかの仕組みを必要とするのだろう。「理念」や「考え方」を伝達するだけでは、なかなか人は変わらないものなのだ。

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