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打ち手が驚くほど変わる〜リスクを活かす仕事術

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「このプロジェクト、リスクはどうなんだ?着手するのは、それが十分に分かってからだ」という会社の上司。「いまの会社から転職してしまうと、先々がよく見えなくてリスクが高すぎる。今はここに留まっておこう…」という自分。

日々の仕事やキャリア上の判断をする場面でも、このように「リスク」という言葉によって、行動を思いとどまったり、何か新しいことを仕掛けるのを保留することはないでしょうか?

変化が激しい時代にあって、現状に留まるのではなく、何か新しいことを仕掛けなければならないというのは多くのひとが感じること。一方で、こうした行動を押しとどめる「リスク」という言葉は、意外にも十分に深掘りする機会が少ないのではないでしょうか。

そこで、“未来を変える”プロジェクト編集部では、このテーマについて深く検討するために「自分はリスクを取ってきた」という方と「自分はリスクを回避してきた」という方に、同数程度、合計50名お集まりいただき、このテーマについて議論を行いました。

そこから見えてきた仕事における「リスク」の捉え方と「変化を楽しむ」ためのヒントについて考えました。ぜひともご一読ください。

本記事のアウトラインです。

INDEX読了時間:5

それでは本文です。

仕事におけるリスクとはなにか?

まず、よく使われる「リスク」という言葉ですが、辞書によればその定義は、

「悪いことが起きる可能性」

となります。

何か新しい行動をするときに、リスクが一定以上高ければひとはその行動を回避し、リスクが低ければその行動をします。

本議論では特に「リスクが高いから行動しない」という点についてフォーカスを当てます。すると、次のような2つの観点が出てきます。

  1. もしも悪いことが起きたときに、そのダメージが大きすぎて許容できないという意味でのリスクの高さ ⇒ これを「許容できないダメージ」リスクと名付けます。
  1. 悪いことが起きる可能性の方が、期待される成果よりも高いため、行動しない方が合理的という意味でのリスクの高さ ⇒ これを「損得勘定がマイナスになる見込み」リスクと名付けます。

今回は、この「許容できないダメージ」と「損得勘定がマイナスになる見込み」の2点を軸として仕事における「リスク」に対する取り組み方を議論していきます。

リスク評価 2つの観点

個人が主体だと日本では「許容できないダメージ」は存在しない?

まず議論の基点になったのは、イベントに登壇したビービット社社長の遠藤氏による「日本では何をしても、餓えて死ぬことはない」という指摘でした。

日本では、どんなに事業に失敗したとしても、無謀な挑戦をしたとしても、命に関わることまではならない。だから、何を仕掛けたとしても「個人」の最低問題は、死なないというところに踏みとどまる。だから、何に挑戦してもいいのではないか?というのがこの指摘です。

自ら事業を興し、そこで成功・失敗を体験する起業家の多くは、この点について同様の見解が多数を占めました。一方、大きな組織に所属している立場の場合、見解が異なる方も少なくありませんでした。

減点方式で人事評価が行われ、その評価の連続によって昇進などが決まる組織では、ある一定水準を超える「失敗」はその後のキャリアに致命的な影響を与え「許容できないダメージ」となってしまうこともありえます。

この2つの典型例を比較すると「個人」にとっての「許容できないダメージ」は、何を人生における目的と設定しているかに依存するのかもしれません。

事業家が、自分が達成したい世界観や、一定以上の規模の事業を創りだすことを人生の目的としていれば、挫折や失敗による名声・実績・金銭の損失は、次の挑戦によって挽回可能です。

一方で、特定の組織、特定の状況での昇進を人生の目的と定めた場合、それが達成できなくなってしまうような失敗は、受け入れられないものになってしまうのかもしれません。

こうした「減点的なアプローチ」の組織に対しては、参加者から以下のように不可逆性についての指摘も相次ぎました。

大企業のひとたちの「キャリアのために減点評価されたくないから挑戦しない」って、死ぬときに後悔しないのか純粋に疑問に思いました(40代 会社経営)
例えば、勤務していた大企業を辞めるときも、辞めなかったらサイバーエージェントの藤田さんみたいにはなれないし、先人を越えることはないだろうというふうに考えた部分があります。 そうすると「辞めずに、好きなところに移動できなかった」ことが将来的なキャリアのリスクになります(30代 メディアプロデューサー)
これから変化が速く、そして大きくなる日本において「リスクを取らないことが、長期的に最もリスク」だと感じています(30代 NPO代表)

学習とレビューによって「損得勘定」はマイナスからプラスになる

次に、個人で何かをするときの「損得勘定」に目を向けてみましょう。これは、何かに取り組んだとき、結果としてそこから得られそうなものより、失いそうなもの、マイナスとなるものの方が大きそうなとき、ひとは行動をしないという点を指します。

ですが、もしも直截的に成果がもたらされなくても、その営みによって多くの学びがあり、次の挑戦ではその学びを活かすことで、より成功の確率を高めることができるのであれば、これまで「損失」として評価されてきたことは、実は「成果」に置き換えることができるかもしれません。

これを実現するには「レビューが重要である」という指摘がありました。

ある文献によると、5000回以上のロケット打ち上げの歴史を分析すると、失敗の次の打ち上げは、成功の次の打ち上げよりも成功確率が高まるそうです。

これは、失敗したときは必ず自動的に「振り返り」「レビュー」が行われ、多くの学びが集約されるのに対して、成功した打ち上げについては、徹底した振り返りが必ずしも行われないために導かれる結果とのことです。

このように、何か新しい行動や挑戦をするときに、結果に関わらず振り返りをする仕組みを入れ込んでおくことで、多くの直截的「損失」は、次につながる学習や知見によって、ある程度カバーされることが増えてくるのです。

会場からは、こんな指摘もありました。

他人の失敗から学ぶことは難しいが、自分たちの失敗からは、学ぶことができる。それは、他人の失敗については、置かれた状況や細かいパラメーターが自分と違いすぎて、その微細な状況を知り、そこから学ぶのが難しいから。しかし、自分のケースについては、ほとんどのパラメーターは次回以降も変わらない(例えば、関係者の性格や考え方など)ため、振り返りをすれば、次に変化させるべき要素が明確に分かってきます(50代男性 商社勤務)

このように「リスク」における「損得勘定」は、レビュー(振り返り)を組み込むことで、大いに状況が変化するかもしれません。

リスクの捉え方が劇的に変化する「主体」の切り替え

フォーカスは「何を主体としてリスクを考えるか」という点にシフトしました。

例えば、目の前に美味しそうだけれど毒がありそうな、人類の誰もが食べたことのない魚がある場合、その魚を食べることがリスクかどうかという状況について考えてみましょう。

もしもこの主体が、自分「個人」だったとしたら、リスクはとても大きくなります。個人からすれば、最悪の場合「死んでしまう」という許容しがたいダメージを負ってしまうかもしれないからです。

「損得勘定」の観点から考えても、自分が病気になってしまったり、長期的に障がいなどを抱えてしまうことを思えば「結果的に美味しかった」という得よりも、はるかに想定される損の方が大きくなり、やはり毒のある可能性がある魚を食べたりはしないでしょう。

ですが、この「主体」が人類全体となったら、どうでしょうか?

一人がこの魚を食べて、もしも死んでしまったとしても、人類全体が滅びてしまうわけではありませんので「許容できないダメージ」ということにはなりません。

「損得勘定」で考えると、もしこの魚が「安全で美味しい」と分かったならば、これ以降人類の多くがこの魚の恩恵を享受できるようになります。一方で、想定される損は一人が死んでしまうということに留まります。

と、これは寓話的な考えですが、主体をどんどん拡げていき【個人】→【所属する組織】→【所属する国家】→【自分よりも後に生まれる世代】となっていくと「リスク」に対する捉え方は劇的に変わっていきます。

想像力との関係を指摘する、こんなコメントもありました。

いわゆる当事者意識とか自分ゴトってことですが、自分の延長線に地域があり、社会があり、国家があり、未来など次世代があるという想像力を個人がどこまで持てるか。その想像力の幅に個人によって差異があるからこそ、見ている視点や視座の広がりにも差が出てくると考えます(30代 ジャーナリスト)

共通の目的を握っている「主体」が持つ力

自分の所属する会社全体を主体として捉え、その所属者全員とその家族が安定して健やかな生活ができることを目的と捉えると、そこに所属する面々は個人を主体と捉えたときよりも大胆なリスクを取ることができます。

全社として事業Aと事業Bという2つのことに取り組んでおり、過去から事業Aは安定した収益をもたらしている一方で、事業Bはいままさに取り組みが始まっており、もしも成功すれば事業Aと同等の収益を生み出し、成長する可能性がある。ただし、失敗したら事業Aによる利益をすべて食いつぶしてしまう可能性がある。

こうしたとき、個人個人が自分を「主体」と捉えていると、事業Bに取り組むメンバーは収支がマイナスとなってしまい「許容できないダメージ」を負ってしまいます。つまり、金銭を失ってしまい明日の生活ができなくなってしまうのです。

ですが、事業Aに取り組むメンバー、事業Bに取り組むメンバーがすべて、組織全体として1つの「主体」という意識であれば、事業Bが成功すればその利益は全体を潤わせ、事業Bが失敗すればその損害を全体でカバーすることで「許容できないリスク」をクリアできるようになります。

『ワーク・シフト』の著者として知られ、世界の大企業・政府を巻き込んだ未来コンソーシアムを運営するロンドンビジネススクールのリンダ・グラットン教授が過去の講演で、

世界的な企業における、健全なCEOを育てるためには、その人物が若いころから世界中の国々を体験し、貧困に直面する人々、裕福にしている人々など、世界の全体像を主体として捉えることが何よりも重要だと考えます

と、主体をどこまで広く捉えるかの重要性について指摘したのも、今回の「主体」に関する観点と合致するかもしれません。

自分自身の「主体」の幅を拡げるために

以上の議論を振り返るに、個人としていままで取り組まなかったことに挑戦し、新たな「リスク」を取るためには、自分が暗黙のうちに捉えている「主体」をシフトさせることがきっかけになるかもしれません。

では、この「主体」のシフトをどのように行うのか?

よく言われる話の1つは「死にかける」というエピソードです。多くの偉大な経営者や偉人は、自分が一度死にかける瞬間に「自分自身のために何かをしても、それにはもはや意味が無い。残される他の人たち、自分の後に生まれてくる人たちには、何ができるだろう」と思いをめぐらす。そして生還すると「主体」が自分個人からシフトする。それによって新たなリスクをとり、大胆な行動を興し、以前には達成できなかった成果をもたらすことができます。

ですが、死にかけるというのは中々意図してはできません。

そこで本議論でお薦めとして出たのが「まずは一旦、今の自分の主体を手放してみる」という提案でした。

具体的には、

1 いま自分が取り組まない事象を洗い出してみる
2 そのときに「何をリスク、悪いこと」として捉えているかを認識する
3 そこから、自分が現在、何を主体として捉え、何を目的としているかを深掘りする
4 そして、その「主体」と「目的」を短期的に、休暇や旅行などによって手放して、自然体でいる

 

こうした流れを経験することで、いままで自分がこだわっていた主体が手放され、そこに新しい主体が見えてくる。そして、そこから新しい「目的」が生まれてくるのではないかというのが、今回の議論で最後に参加者から提示された可能性でした。

 

いかがでしたでしょうか?

昨日、今日、そして明日「それはリスクが…」というようなセリフを自分や周囲のひとが口にしたとき「その主体は何だろう?」「その目的は何だろう?」と振り返ってみると、思いがけない大胆な行動を取ることが可能になるかもしれません。

[編集・構成] “未来を変える”プロジェクト 編集部

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